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真庭市 市制施行20周年記念誌
豊かな暮らしを応援する【ひと】
【ひと】10年の動き
自らの夢に挑戦したい、誰もが認め合う社会に住みたい、仕事だけでなく、家族との暮らしも大切にしたい。そんな市民の暮らしは、「ものがたり会議」が2040年の真庭に込めた思いそのものです。既に、各地でそんな人々が増えてきました。しかし、目標はそんな人たちでまちじゅうが溢れかえることです。そのためには市民の多様な生き方を応援する「ひと」が増える必要があります。この項では特に「社会や人を応援するグループ」を「ひと」と表現し、地域を舞台に新たな挑戦を続けるグループ、「市役所」と共に「まち」を支援するグループ、さらに市民を応援するグループの活躍を紹介していきます。「まちを愛するひと」が市内のあちこちで活躍を始めました。
なお、個人として魅力的に活躍する人もたくさんいらっしゃいますが、この人たちは真庭観光局が発行する冊子「真庭の人びと2022」で別途紹介されています。ここでは真庭を舞台に活躍する多彩なグループを紹介します。
※「真庭の人びとVol.2」を作成中。
(1)、新たな「ひと」の登場(移住・定住)
自分の住んでいる地域が子や孫の代までつながって欲しいと多くの人は願います。しかし、人口減少などにより消滅可能性自治体という言葉さえ生まれ、未来に不安を残しています。そのため移住などを促進して地域を担う人を増やしたいとの動きが全国各地に生まれています。一方、都会暮らしに限界を感じ、ちゅうさんかん地域でのゆとりある生活を望む人も増えてきました。
そのような両者の願いを解決するため、まずは真庭での暮らしを体験する「なりわい塾」が中和地域の協力のもとスタートしました。さらに、総務省の制度である「地域おこし協力隊」の活動も市内各地で広がり成果を上げています。この項では、新たな人材発掘を進めた「なりわい塾」と、移住者と地域住民の融合を目指した「地域おこし協力隊」の活動を紹介します。
新たなライフスタイルを模索する
真庭なりわい塾
平成29年(2017年)、中和を舞台に新たな生き方を模索する「真庭なりわい塾」が誕生しました。塾長に澁澤じゅいち氏、事務局を吉野奈保子氏、そして中和地域全体が協力する体制でスタート。塾生は毎月1泊2日で中和に集まります。全国から集まる講師の方から、都会にはない農山村での新たなライフスタイルを学び、地元の人からは「買う」から「つくる」暮らしを学び、自分らしい生き方を創造していきます。また、若者は移住しても仕事はあるのか、地域となじめるかなどの悩みを、逆に地元の人は地域が次世代につながってほしい、若者に移住してきてほしいとの思いを語り、結果、移住者は「入る作法」、地元住民は「受け入れる作法」を学んでいきます。
塾生は地域に入り、地元の人から集落の成り立ちと地場産業を学び、同時に『聞き書き』をします。『聞き書き』とは、人生の先輩たちの生き方、人柄、言葉使いを文章に取りまとめ、後世に伝える作業をすることで自らの生き方の参考にします。
塾生が、あるおばあちゃん宅を2回目の『聞き書き』で訪れました。おばあちゃんは小さな折鶴を手渡します。塾生の「ありがとう」の声に、ぽつりと「ともだちじゃけえ」と答えました。おばあちゃんは、自分の人生を聞いてくれる人がいることに深く感動し、その感謝の意を折鶴に託したのです。地域と塾生が繋がっていきます。
基礎講座を終え、2年目の実践講座では塾生個々がテーマをもって地域で活動を行います。ある年、地域内の空き家調査を行いました。その中で元商店であり、バス停でもあった空き家に出会います。持ち主は塾生になら貸してもいいと答えます。塾生の集まる場所、地域の人が集まる場所、学校終わりの子どもたちが集まる場所を作りたいと考えた塾生たちは、地域や地域の学校応援団「中和いきいきサポーターズ倶楽部」等に呼びかけました。みんなで資金を出し合い自分たちの力で修繕をしました。平成30年に完成。子どもたちが「えがお商店」と名付けました。そこにはまさに「地元住民、移住者ごっちゃまぜ」の風景があります。
さらに地元と塾生の活動は続きます。令和元年、移住可能な空き家の再調査と「中和定住案内所」を設置。移住を促進しました。以降、7年間で22世帯、48人が中和へ移住し、20軒の空き家に灯がともることになりました。令和2年には、前年589人だった人口が600人になる小さな奇跡を私たちは見ることになります。
令和3年、なりわい塾は北房地域でも始まり、その灯は市内各地に広がっていきます。令和6年度までのなりわい塾は8期を迎え、卒塾生は171人、その中で移住した人が19人、また卒塾生の半分以上が卒塾以後も真庭市と関わっています。なりわい塾は、市内の「ひと」と「ひと」をつなげ、そして全国へもつながっていきます。
地域に入り、さまざまな活動に挑戦する
地域おこし協力隊
平成25年(2013年)真庭市は市外から移住して地域づくりなどに取り組む地域おこし協力隊員を初委嘱、令和7年3月までに38人を委嘱しています。
地域おこし協力隊員の共通の課題は、見知らぬ土地での孤立でした。そのため真庭市は交流定住センターを活動拠点として位置付けました。まず、隊員の事務スペースとして活用、同僚の隊員同士の絆を深めます。同時に、真庭市やセンタースタッフからのアドバイスも受け、一人ではないとの思いを胸に地域に入ります。その中で、さらに仲間を増やし地域に溶け込んでいきます。
そして隊員たちは、各々が挑戦したい分野と地域課題を結びつけながら、さまざまな活動に挑戦。これまでの事例をみると、自然再生事業、映像を使った市のPR活動、ダンス教室、地域情報誌の執筆発刊、音楽、フリースクールや子ども食堂の運営、スマート農業など多岐にわたっています。
令和5年3月末までに任期(1〜3年)を終えた隊員のうち8割近くが市内や近隣地域に定住しており、これは全国平均(64.9%)を上回っています。隊員の中には家族での移住、市内での結婚、出産、子育てをする人も多く、地域を応援する人から地域の人へと変貌していきました。
退任後は、その多くが市内で起業しており、カレー店やカフェ、美容室、フィットネスジム、オーガニック石鹸の製造販売、映像クリエイター、執筆業、わら細工作家、米農家、林業家など、地域に溶け込み多岐にわたり活躍しています。また、交流施設や自然体験施設などの運営、市内の企業や製造業、ジビエ関係機関などにも就業しています。
協力隊を迎えて10年余り。さまざまな取組や交流によって各地域の人、さらに地域の枠を超えた若者たちと融合し、まちづくりの化学反応の一翼を担っています。
(2)、地域を応援する「ひと」(地域振興)
地域を未来につなげたい。地域の個性を生かして新たな産業を興したい。経済面だけでなく多方面で活躍する「ひと」が大勢いる地域になっていたい。地域の歴史を掘り起こし、誇りある暮らしをしたい。自分らしく生きることが心豊かだと思う地域でありたい。みんなに共感され、互いの個性を認め合う地域でありたい。
真庭市ではそんな思いを持った人が市内各地に登場してきました。この項では、「地域を応援するひと」たちの「故郷を次世代につなぐ挑戦」を紹介します。
自主共生の地域づくり
元気な地域に、まず自分たちが動こう
NPO、法人、よし縁起村協議会
津田小学校の廃校、郵便局の閉鎖から危機感を覚え、平成30年(2018年)に兼業農家の地元住民たちがふるさとを元気にしたいと「地域資源の発掘」を始めたのが「よし、縁起村」が生まれたきっかけです。まず注目したのが「よし」という縁起の良い地名。「相愛」など縁起の良い地名が多いこと、ハートの木があるなど、縁起の良い村「縁起村」をテーマに、「まずは自分たち住民が動かないといけない」と看板や休憩所を建て、PR活動を進めてきました。
令和4年には「農村RMO(農村型地域運営組織)」としての取組もスタート。NTT西日本と連携した無人販売所「スマートストア」をオープンし、買い物難民の課題を解消。また葉や茎が食べられるサツマイモ「すいおう」を用いた特産品開発も真庭市内業者と連携して行い、令和6年には農林水産省の「ディスカバー農山漁村の宝」特別賞も受賞しました。
「よし、縁起村」が空き家の改修を手がけた「立寄処」をはじめ、月刊で発行の「縁起村新聞」も創刊から70号を迎え、住民同士のコミュニケーションを生むきっかけになっています。「メディアに取り上げられるたび、地元がより一層好きになった」という声も聞かれ、令和7年にはさらに広域の連携を深められるようNPO団体に。活動の幅を広げながら、住民一人ひとりが主役になれる取組をしています。
薬草を活用した商品開発に取り組む
富原婦人林研クラブ
昭和50年代、林業が盛んな富原地区で男性の牽引する「林業研究クラブ」が発足。続いて「林業を支えるため、女性も学ばなくては」と女性中心の「富原婦人林研クラブ」が結成されました。当初は先進地の視察や税金の勉強、木材の品質向上に関する研修など、林業に直結した活動を続けていました。
しかし、平成に入ると時代とともに専業から兼業林業へと変わっていき、活動内容の見直しが必要となります。そんな中で、転機となったのは平成24年(2012年)頃、薬学博士の村上光太郎先生(当時崇城大学特任教授)を講師に迎えた薬草ゼミナール。「知ってるようで知らない」薬草の世界に魅了された女性たちは、村上先生の「身近なものが薬草だということを知ってほしい」というモットーのもと、「やまんばあば」という愛称で、勉強会や料理教室を重ね、平成26年には地域産品として「くず新芽茶」の販売を開始しました。
また、平成29年には「全国薬草シンポジウムinまにわ」を開催。さらに同年、薬草カレー「里山キッチンカレー」も完成し、地元の新たな特産品として定着していきます。シンポジウムを機に「真庭・食べる薬草振興協議会」を設立。高齢化が課題だった「富原婦人林研クラブ」を引き継ぎ、さらに移住者や海外の方も携わり、薬草の普及を中心に活動を続けています。
廃校を利活用、地域課題に挑戦する
二川ふれあい地域づくり委員会
高齢者福祉のむらづくりを進めていた二川地域。初めは名前のとおり、高齢者福祉がテーマでしたが、活動が多岐にわたっていく中で「ひとつになって二川を盛り上げよう」と平成22年(2010年)に住民全員が会員となる「二川ふれあい地域づくり委員会」が誕生しました。
二川の清流を活かしたイベント「魚のつかみ取り」は毎年、二川の人口を超える300人以上が参加。また伝統野菜「土居分小菜」の継承や活用を大学や研究機関と連携しながら進めています。谷ごとに集落が分かれているため、どの集落からも最寄りのバス停留所まで遠いという課題に加え、コミュニティバス「まにわくん♡」の枝線が廃止に。市役所と地域がタイアップして「デマンド(予約乗り合い)交通」をスタートさせ、いまや地域住民の足になっています。
さらに多様な人たちが二川の地域づくりに参画します。令和4年には閉校となった二川小学校に、株式会社テイツーが展開する「古本いちば」から約10万冊の漫画が提供され、「ふるいち二川マンガ館」がオープン。地域の拠り所である「二川みらいづくりセンター」としても再出発し、有効な廃校利活用としてメディアにも取り上げられました。マンガ館を運営する組織「一般社団法人ふたかわコスモヴィレッジ」も立ち上がり、地元の青年有志「二川いった実行委員会」と連携して、マンガ館を軸とした地域づくりに取り組んでいます。
自然を生かして
地道な活動でホタルを見守る
北房ホタル保存会
「北房ホタル保存会」の前身は、昭和45年(1970年)に発足した「ホタルを育てる会」。農薬や乱獲などでホタルが激減する中、危機感を抱いた旧北房町が立ち上げました。さらに集中豪雨にも見舞われ、一時ほぼ絶滅状態となりましたが、自然の回復力や地道な増殖活動により、復活を果たしたと言います。
平成5年に「北房ほたる公園」が完成し、「復活したホタルを守り続けていく」という思いから平成19年「北房ホタル保存会」に改称。「将来の子どもたちにもこの美しいホタルの風景を見せてあげたい」と、「育てる」から「守る」へ活動方針を転換しました。地道な活動が実を結び、「ふるさといきものの里百選」に選ばれ、「全国ほたるサミット」も開催しました。
現在の活動内容はこれまでの草刈りや遮光幕設置に加えて、水温、水質分析などの定期測定や生息分布調査など科学的なモニタリングを導入。データを取り、変化を数値で捉えることで、ホタルを含めた生態系、生物多様性の維持活動も推進していく計画です。
また、最新のホタル研究を一般参加者にも分かりやすく伝える「ほくぼうホタル学」も令和3年から実施。ホタルに興味を持つ人が増え、市外も含めて会員数の増加に繋がっています。県内外から多くの観賞者が訪れる全国有数のホタル生息地を支え、地元住民の誇りとなる活動を続けています。
貴重な自然・文化を次代に繋ぐ
蒜山自然再生協議会
昭和30年(1955年)頃まで、里山の豊かな自然を資源として、日々の生活に活用しながら暮らしてきた蒜山の人たち。なかでも草原の「草(茅)」は特別なものでした。山焼きによって維持される広大な草原では、草が田畑への肥料として利用されたり、農耕用牛馬の飼料になったり、茅葺き屋根や雪囲いに使う茅も収穫できました。そのほか、湿原や森林も生活の一部となっていました。
しかし、産業や生活様式の変化によって、人、が自然に関わる機会が減った結果、多くの自然環境が消失・劣化してきており、蒜山地域固有の自然・文化が存続の危機にあります。こうした「貴重な自然・文化を次の世代に伝えていきたい」と、令和4年1月に自然再生推進法に基づく全国で27番目の協議会「蒜山自然再生協議会」が発足しました。
地元の有志や全国から応募のボランティアにより、山焼きや草刈り、茅刈りによる草原と湿原の維持および再生活動、市内外の登山愛好家やトレイルランナーと一緒に取り組む登山道整備も行っています。また、地元農家が中心となった「蒜山茅刈り出荷組合」と連携した茅の生産と出荷にも力を入れており、地元中高生と茅を刈るイベント実施のほか、人々の暮らしの中で長年にわたり育まれてきた文化の継承と生物多様性の保全も目指しています。
令和6年11月には、活動現場が「蒜山高原鳩ヶ原草原及び周辺湿原」として自然共生サイトに認定され、民間企業などとともに、自然環境の調査や研究にも着手しています。
歴史をつなぐ
西の明日香村づくりを目指す
北房文化遺産保存会
北房には250基を超える古墳があります。古墳時代前期から終末期までしゅちょうぼが続くという他地域では見られない特色もあります。その中でも最も古い荒木山東塚・西塚古墳の保存活用に取り組もうと平成28年(2016年)、「荒木山の古墳を顕彰する会」が地域住民を中心に発足。古墳の草刈りや整備などを地道に続けてきました。
真庭市の後押しや同志社大学との連携もあり、三次元測量やレーダー探査など、墳丘の測量や調査を実施。そして令和3年、会の名称を「北房文化遺産保存会」と改め、活動範囲を北房全域に拡大しました。そして「西の明日香村コンソーシアム」を組織し、民学官が連携して、住民参画型の発掘調査に乗り出しました。通常の発掘調査は行政が主導で行いますが、ここでは地元の小中学生・PTAから市内外の一般公募者まで、多岐にわたる方々が発掘調査に関わるという全国的にも珍しい調査となりました。
「自分たちの故郷には古墳という誇れる文化遺産があります。私たちはそれを繋いでいく役割。次世代に継承できたらと思いながら、知恵を出し合っています」。小中学校でのさといく、広報紙「荒木山通信」の発行、案内看板の設置やガイドの養成など、積極的に活動しています。
母校への愛着が活動を広げる
旧遷喬小支援団体
明治40年(1907年)に建てられ、平成2年(1990年)に小学校としての役目を終えた旧遷喬尋常小学校。地元の人たちにとって思い出の場所であり、特別な場所です。
当初は取り壊し予定でしたが、1990年代前半から地元住民が保存運動に動きます。「ロマネスク遷喬の会」が発足し、保存のきっかけとなりました。桂南光さんの落語会などを企画。多くの人が集まる中で「こんなに人が集まっているのに簡単に壊せない」という声が高まり、映画やテレビドラマのロケ地にも選ばれ、平成11年の国の重要文化財指定へと繋がっていきます。
その後、校舎の利活用が課題となる中、平成24年頃から始まった「なつかしの学校給食」がさらなる転換期となります。「旧遷喬尋常小学校の役に立てるなら」と旧遷喬尋常小学校を卒業した地元の商店主たちが中心となって、「なつかしの学校給食」を運営する母体「まにワッショイ」が誕生。元給食調理員の協力もあり、およそ7年かけて来場者が1万人を超える企画に。またそこから派生した「配膳ボーイズ」が楽曲「あなたによそいたくて」をリリースするなど、母校に対する愛着が活動の幅を広げていきました。「まちづくりが生活に密着しています。自分たちの商いの延長線上に旧遷喬尋常小学校の活用がありました」と話します。
さらなる利活用を目的として「旧遷喬をゆたかにする会」も発足。校庭を使った年越しイベントなど、「危機感よりも楽しさを原動力にしたい」と新たな取組も生まれています。多くの人の手によって、この校舎は今もなお育まれています。
日本の原風景を守り、伝える
やしろ地域振興協議会
どうして「やしろ」という地名なんだろう。なぜ地区内には格式の高い神社が多いのだろう。そんな素朴な疑問から、住民による郷土史の勉強が始まりました。そしていろんなことが分かってきました。
やしろ地区は、平安時代の書物「延喜式」に記載された格式高い「式内社」が8つも集まっている地域。講師を招き、自分たちが住んでいる地域の歴史を複数回にわたって学び直し、その内容をもとに「やしろ地域振興協議会」としてガイド活動を開始。湯原温泉郷と連携したり、大手企業のツアーを受け入れるなど、年間600人もの観光客が訪れる地域となりました。空き家を改修した、滞在も可能な交流拠点「ごうどの館」には多くの利用者が訪れるようになり、また岡山県内の大学とも連携を深め、「やしろ祭り」「竹あかりイベント」や、特産品「やしろ餅」の販売も進めてきました。
高齢化対策では県北でもいち早く電動車を活用した「グリーンスローモビリティ」を導入。観光だけではなく、生活環境にも重きを置き、高齢者の「足」問題の解消にも取り組んでいます。それらの活動に合わせて、美しい田園風景を守る取組も認められ、令和4年(2022年)には「つなぐ棚田遺産」に選定されました。
地区への「誇り」が「まち」を未来につないでいきます。
風化させない使命感が活動の原動力
山中一揆義民顕彰会
享保11年(1726年)に起きた「山中一揆」は、51人の処刑者を出した日本三大一揆の1つといわれる百姓一揆です。この義民を顕彰し、地域の歴史を後世に伝える活動を続けているのが「山中一揆義民顕彰会」です。一度活動が停滞していたものの昭和55年(1980年)に再、発足し、その際には旧真庭郡の各町村から多くの寄付が集まり、「義民の碑」の整備や案内板の設置などが行われました。
「義民の丘」まわりの草刈りも欠かさず、毎年5月の「義民祭」では護摩供養を中心とした慰霊行事を継続。平成7年には「第3回全国義民サミット」を開催しました。今も真庭市内には弥治郎獄や痛ましさを残す首切り地蔵といった地名、名称が残っています。そういった史跡も参考に、山中一揆の研究資料の編纂などを行い、学者ではない地元住民が、自分たちで歴史をひも解いてきました。「山中一揆の意義や記憶を風化させるのは、義民の方々に申しわけない。何もしないわけにはいかない」という使命感が活動の原動力になっていると言います。
地元映画監督による山中一揆をテーマとした映画『新しき民』や、図書館企画などの後押しもあり、山中一揆ツアーや歴史講座、演劇、音楽と活動の幅を広げています。「義民の顕彰を大切にしながらも、こだわり過ぎず、多角的な視点を大切にした」という言葉どおり、さまざまな切り口を用いて、歴史文化を後世に伝えています。
地域の応援団
暮らしと観光が共存するまちづくり
勝山、町並み保存団体
平成8年(1996年)、勝山、町並み保存地区に地元住民が、草木染めののれんをかけたことから「うちにも欲しい」という住民の声で広がった「のれんのまち、勝山」。今では100軒以上の軒先に色鮮やかなのれんが揺れています。
その取組を支えたのが地元有志「かつやま、町並み保存事業を応援する会」。任意団体ながらのれん制作に補助金を出していることに加え、空き家を改修した交流拠点「顆山亭」の整備や、子どもが町並みを駆けめぐる「まちなみスタンプラリー」など、いくつもの企画を実施しています。また、平成11年から始まった「勝山のお雛まつり」は最盛期4万人が訪れるイベントとなり、運営する「勝山のお雛まつり実行委員会」には「応援する会」のメンバーも携わっています。
電柱が地中化され、真庭市誕生とともに立ち上がった「NPO法人勝山・町並み委員会」も、醬油蔵を改装した勝山文化往来館「ひしお」をオープン。人、とアートが交流するスポットとなり、アートによるまちづくりも進めてきました。結果、勝山、町並み保存地区には古民家や蔵などを活用したカフェ、ギャラリーが軒を連ねています。住民が口を揃えて言うのが「勝山の人たちの暮らしがあって、そこに観光がある」。暮らしと観光が共存しています。現在では若者による「勝山・町並み会議」もでき、さらに重要伝統的建造物群保存地区の指定も視野に、幅広い世代による新たな文化のまちづくりへの挑戦が始まっています。
地域を盛り上げる思いを共有する
ひるぜん焼そばすいとん会
蒜山の保存食文化から生まれた味噌ダレによって根付いた蒜山独自の「ひるぜん焼そば」。地元の食堂が発祥とも言われ、やがて「この焼きそばで地域おこしができるのではないか」と地域が盛り上がり、平成20年(2008年)に「ひるぜん焼そばすいとん会」が生まれました。平成22年「第5回B−ワングランプリ」において、はつ出展にも関わらず全国2位に。翌年にはゴールドグランプリ(金賞)に輝き、大々的にメディアにも取り上げられ、一躍全国区になりました。
それでも「焼きそばを売るのが目的ではなく、焼きそばを用いて蒜山や真庭を盛り上げるのが目的です」という思いを共有している「ひるぜん焼そばすいとん会」。共感した地元の酪農家や電気屋、保険屋、行政職員など立場を超えたさまざまな方50人以上が自主的に参加し、全国各地の大会やイベントに出場してきました。
イベント出展のほかにも「ひるぜん焼そばのタレ」の開発や、大手企業とのコラボ商品など多くの企画を手がけ、それぞれで得た売上は「地域のために使おう」と還元。地域経済に大きな波及効果があったと言われています。「食を通して、子どもたちの郷土愛が育まれたら」と学校での講演、学校給食への提供も積極的に行い、「食」をテーマに真庭の地域づくりを支えています。
世代を超えて受け継がれる
大衆演劇「やこうげ一座」
栗原神社秋季大祭の一環として、栗原地区の青壮年たち(地元の青年団「やこうげクラブ」)が50年紡いできた大衆演劇「やこうげ一座」。栗原神社の神事で「何か面白いことをやろう」と馬車をゆずり受けてだんじりをつくり、道中芸などを経て、昭和51年(1976年)に「やこうげ一座」として旗揚げ公演。以来、毎年10月9日に新作を披露しています。
出演はもちろん、脚本、演出、舞台監督から音響、照明、衣装に至るまで、全て自分たちで行い、本番ではおひねりや歓声がほうぼうから飛ぶなど、毎年楽しみにしている地元内外のファンも多数。地縁で繋がった所属も年齢も違う地元の人たちが1カ月ほど前から稽古に励みます。50年の歴史の中では会場にも変遷があり、一時期はクレーンを用いて鉄骨から舞台を組み上げていた時代もありました。現在は「やこうげコミュニティーハウス」で披露しています。
「この一座があるから、栗原に残っている」。その言葉どおり、親の代の公演を観て育った若者たちが、その後を引き継いでいます。栗原地区の世代間を繋ぐかけがえのないものになっています。また、新たな取組として、地元の美川小学校の子どもたちにソーラン節や太鼓も教えています。教わった子どもたちが、本番の前座を担当。そしてまた、そんな子どもたちが次を担う世代へ。「やこうげ一座」は地域の誇りであり、人と人を繋ぐ大切な居場所です。
おもてなしの心を受け継ぐ
湯原温泉しゃくなげ会
昭和60年(1985年)、湯原温泉郷の旅館女将によって結成された「湯原温泉しゃくなげ会」。その後、美作さんとうの連携に合わせ、各旅館の枠を超えて美作さんとう全体を盛り上げるため、交流や観光PRなど積極的に行ってきました。
大きな話題となったのは、平成の初めから10年以上続いた女将たちによる「ハンドベルの演奏」です。練習を重ねた女将たちが息を合わせてベルを振り、各地のイベントや福祉施設、保育園などで披露しました。また、温泉指南役としての観光案内や、鶴山公園でのお茶席開催など、女将それぞれの特技を活かした誘客にも取り組んでいます。
湯原の特産「青大豆」を使った「おかみちゃんカレー」の商品化も実現し、販売を通じて湯原温泉のPRに貢献しました。「湯原温泉の良さを伝えたい。その想いが強過ぎるんです」とある女将は言います。
先代から連綿と受け継いできたのは「お客様に喜んでいただきたい」というおもてなしの心。そして湯原温泉の女将としての誇り。それらを胸に、湯原温泉を支える活動を続けています。
社会奉仕団体
青年たちの情熱を結集する
真庭青年会議所
「青年会議所」は、青年(20歳から40歳)の真摯な情熱を結集し、社会貢献することを目的に組織された青年のための団体です。「真庭青年会議所」は、昭和38年(1963年)「真庭は一つ」「真庭市を作ろう」の合言葉のもと、岡山県の郡部では初の青年会議所として誕生しました。活動は、地域社会及び国家の発展を目指し、会員の連携と指導力の啓発に努めるとともに、国際的理解を深め世界の平和と繁栄に寄与することを目的とし、高校生議会(市内の高校生が実際の市議会議場を使い、市長に質問や提案を行う)、ひまわりスポーツフェスティバル(障がいの有無に関わらず子どもたちと一緒に楽しめるスポーツイベント)などの青少年育成やまちづくりなどの事業を行っています。
女性と女児の生活向上を目指す
国際ソロプチミスト真庭
「国際ソロプチミスト」は、地域社会と世界中で女性と女児の生活を向上させるため社会的・経済的なプログラムを通じて、女性と女児のためのエンパワーメントをもたらすことを目的に活動する女性の国際的なボランティア奉仕組織。地域・国内・国際社会に奉仕し、社会のあらゆるレベルの意思決定に積極的にすることに専心しています。
「国際ソロプチミスト真庭」は、平成6年(1994年)6月に設立。具体的な活動の主なものは、ソロプチミスト花壇の設置、地域への情報発信のためのチャリティトークの開催やぼっこう祭出店、ガールズサミット(女子高校生のためのキャリアサポート)への参加などです。
持続可能な良い変化をもたらすために奉仕活動を行う
真庭ロータリークラブ
「ロータリークラブ」は、世界や地域、そして自らの内において持続可能な良い変化をもたらすことを目指し、人々と手を取り合って行動する国際的な奉仕団体。120万人を超える会員が、職業人として倫理を重んじ、世界平和などの実現に取り組み、近年は特にポリオ根絶活動にも力を注いでいます。
「真庭ロータリークラブ」は昭和58年(1983年)の設立以来、国際交流に重点を置き、岡山大学留学生のホームステイや圏域内小学校児童との交流会を継続してきました。しかし、コロナ禍により一時中断し、現在では小学生と外国語指導助手(ALT)による国際交流会を実施するとともに、中学・高校生を対象とした「英語スピーチコンテスト」と合わせて、青少年の成長と異文化理解を支えています。
このほか、地域団体に引き継がれた真庭武道祭に協力し、さらに落合総合公園の清掃活動にも参加するなど、幅広い奉仕活動を展開しています。
We Serve※の心で社会貢献活動を行う
5つのライオンズクラブ
「ライオンズクラブ(以下、LC)」は、世界中に約140万人のメンバーを有する社会奉仕団体。災害救助、児童奉仕、保健プログラムなどの奉仕活動を行っています。真庭市には真庭、真庭旭、落合、湯原、蒜山の5つのクラブがあり、献血活動への協力や青少年育成事業、清掃活動、施設慰問、寄贈などを行っています。
5クラブは合同で社会貢献活動を行っています。例えば、真庭市の小学生以下の子どもたちを対象とした、蒜山での「乗馬教室」開催による思い出づくり、市内の小中学校のプールでの「水質浄化」活動、市社会福祉協議会と「災害時におけるボランティア支援に関する協定」を締結し、災害に備える活動や発生後のスムーズな活動が可能な体制づくりです。また、各クラブの会長スローガンのもと、独自の活動も行っています。
まちづくりは地域の枠を超えていく
「のみいの」で連携する
まにワッショイ、勝山・町並み会議、おチアーズ
久世、勝山、落合で生まれた次世代の地域づくり団体は現在、地域という枠を超えて交友を深め、地域間連携を進めています。
久世の「まにワッショイ」は「なつかしの学校給食」をはじめとした旧遷喬尋常小学校の利活用などで、地域を盛り上げる活動をしています。その活動の軸にあるのが「誰かの〈やりたい〉を否定しない」ということ。応援し合うことでさまざまなプロジェクトが立ち上がり、有機的に広がっています。また、経済的な循環が生まれているのも特徴の1つです。
勝山・町並み会議は、のれんや「勝山のお雛まつり」などを手がけてきた先代の意思を引き継ぎ、町並みに限らない勝山全体を盛り上げる若手有志団体として発足。「まちなみバル」など、勝山に新しい風を吹かせています。
おチアーズも「落合に若手有志のまちづくり団体を」という思いから、落合出身の若手を中心に発足。「おちあい元気フェスタ」の企画運営など、落合のまちづくりに積極的に携わっています。
そんな3団体の連携を生んだのが、平成26年(2014年)から始まった、地区内の飲食店を飲み歩くイベント「のみいの」。真庭観光局が事務局を担い、まにワッショイ、勝山・町並み会議、おチアーズが各エリアのイベントを運営。いまや真庭市の各地域に加え新庄むらでも行われる地域の食と文化を通じた交流の場として定着しています。
それぞれの「地域」も大切にしながら、同時に「地域の枠」も超えていく。
何かあれば地域を超えて協力し合う。そこには地域振興という言葉に収まらない、お互いを認め合い、地域も世代も関係なく関わり合っていく「共生社会」の姿があります。
インタビュー
しぶさわ じゅいち氏
真庭が全国に誇れる最高の宝は「ひと」そのもの。そんな「ひと」が幾重にも重なる素敵な「まち」になってきましたね
1990年代から真庭に多方面で関わっていただいている澁澤じゅいち氏にお話を伺いました。
まず真庭に関わられた経緯をお話しください。
偶然ですね。今から30年くらい前、関わっていたハウステンボス立ち上げの仕事が一段落して、一息つこうと友人に誘われ真庭にやってきました。たまたまそこで出会ったのが21世紀の真庭塾の皆さんでした。皆さん、40代の働き盛りで真庭は人材が揃っているなあという実感でした。そんなご縁で現在に至っています。
当時、どのようなお話をされていたのですか。
真庭、塾の皆さんは経済人が多かったので、最初は「どうしたら地域外からお金がもってこられるか」という話だったのですが、すぐに地域資源を事業に活用することが第一歩だとの話になりました。では地域資源とは何かを、自分の置かれた立場などから各自が考え挑戦を始めました。
バイオマス利活用に向かう流れだと思うので すが、澁澤さんの関わり方を教えてください。
事業化等は市役所や起業家の役割です。私はひとに興味があり、真庭市に産業観光を提案しました。当時、複数のバイオマス利活用事業が注目を浴び、市は視察対応に追われていました。それを一元化したツアーにし、各施設の担当者が観光客に自らの取組を直接話す仕組みに変える。リーダーだけでなく関わるひとは全員成長していきました。
各地の地域づくりにも関与されていますね。
日本中の中山間地域の願いは、自分の地域が次世代につながることです。そのために産業を興し、福祉を充実させます。大変重要なことですが、もっと大事なのは次世代を担う人材を地域が育てることです。
なりわい塾は、そのための人材養成の塾ですか。
なりわい塾は豊田市でスタートしました。トヨタ自動車が地域のひとを雇用しても、コスパ重視の企業倫理が充満すれば地域が廃れていくという経営者の悩みに共感し、お金以外の価値観で地域を支える人材育成を目的とした塾です。真庭なりわい塾は全国で2例目ですが、市役所も産業界も頑張っている真庭だからこそ必要と思い立ちました。
エスパス文化振興財団の理事長もされていますね。
文化がこれからのキーだとの思いもあり、お受けしました。おかげでこれまで会ったことのない多くの方と出会いました。真庭には、こんなに素敵な人が何層にもいるのだと、とても興奮しました。素敵な「ひと」が幾重にも重なり合う、素敵な「まち」になってきましたね。
最後に、澁澤さんの思う素敵な「ひと」についてお話しください。
なりわい塾でもお話しするのですが、「ひと」の幸せは暮らしと稼ぎと務めのバランスの中にあると思っています。家族や友との暮らしの中で感じる安心感。お金を儲けることが全てでない、「足るを知る」稼ぎ。地域の役に立つ(務め)ことにより孤独でないと感じる自分。こんな「ひと」たちが真庭に大勢います。真庭が全国に誇れる最高の宝は「ひと」そのものだと思います。これからも、みんなで素敵な「まち」に育てていきましょう。
しぶさわ じゅいち氏のプロフィール
昭和27年(1952年)生まれ。東京農業大学大学院博士課程修了。農学博士。国際協力機構専門家としてパラグアイに派遣。帰国後、循環型都市「ハウステンボス」の役員として、企画、経営に携わる。その後、ベトナム等でマングローブ林の復元等と集落の持続可能な経営を進める。2002年から全国の高校生100人が「森や海・川の名人」をたずねる「聞き書き甲子園」を、NPO法人「共存の森ネットワーク」理事長として主催。真庭市では「里山資本主義」の実現に尽力し、「真庭なりわい塾」塾長。真庭バイオエネルギー(株)代表取締役。真庭エスパス文化振興財団理事長。澁澤栄一氏のひ孫。
(3)、市役所と住民をつなぐ「ひと」(行政委員)
市民を支える「市役所」の活動は、多くの市民の協力があり維持されてきました。特に専門的知識を必要とする分野については有識者を委員として委嘱し、その知見を行政に生かしてきました。農業委員、教育委員、選挙管理委員、監査委員、交通安全対策協議会委員、男女共同参画推進委員、環境衛生委員、まにわ縁結び推進委員など多岐にわたり、全ての方々を紹介することはできませんが、この項では特に地域福祉の観点から「行政」と地域住民をつなぐ役割を果たしてきた行政委員を紹介します。昭和の時代から真庭市の弱者に寄り添い、見守り、そして支えてきた「ひと」たちです。
心配ごとや困りごとを行政につなぐ
民生委員・児童委員
民生委員は、地域住民の相談にのり、それを市や関係機関に伝えることで、社会福祉の増進につなげる活動を日々行っています。岡山県で誕生した「済世顧問制度」を始まりとし108年の歴史を有しています。児童委員を兼ね、令和7年(2025年)3月時点で9支部で165人が活動しています。具体的な活動としては、地域住民の身近な相談相手として、「心配ごと」や「困りごと」を聞き、行政などが担当するサービスや支援を提供するということにつなげています。その活動中に熱中症の高齢者を発見し、事態の深刻化を防いだ事例もあります。
民生委員・児童委員(以下、民生委員)は、子どもたちが元気に安心して暮らせるように、子どもたちを見守り、子育ての不安などについて相談・支援を行います。民生委員の一部は小学校の児童に関すること、例えば不登校や児童虐待などについて、専門的に担当する「主任児童委員」の指名を受け、令和7年3月時点で19人が活躍しています。
毎年5月12日の「民生委員・児童委員の日(1週間が活動強化週間)」に合わせ、県下の民生委員が一斉にあいさつ運動を展開しています。
また、市内小中学校の子どもたちの登下校時に顔を合わせて、あいさつする活動をしています。
民生委員は、自らが「心配ごと」や「困りごと」を解決するわけではなく、あくまでも「つなぎ役」であるため、相談者のプライバシーに入り込むことはありません。相談していただけるためには、「日頃からの人間関係がとても重要」です。活動している時に「ありがとう」と言っていただけることが喜びで、地域への恩返しのために行っている委員がいます。地域住民の皆さんが困っていることを真庭市に伝え、不安の無い生活を送ってもらうという重要な仕事を行っています。
愛育のこころを持って活動する
愛育委員
真庭地域は、昭和25年(1950年)に岡山県で最初の委員が誕生した「愛育委員発祥の地」です。以来70年以上にわたり、母と子の健康づくりを原点に、地域に根ざした活動を続けてきました。令和7年3月時点で7支部に506人の愛育委員が在籍し、あらゆる世代を対象にした健康支援に取り組んでいます。
主な活動として、赤ちゃんへの「こんにちは赤ちゃん訪問(ブックスタート)」や「セカンドブック」事業、中学生への「ふれあい体験学習」などがあります。「ふれあい体験学習」では、生徒が赤ちゃんと積極的に関わろうとしています。「命の尊さ」に改めて気づき、性別や世代を超えたつながりが生まれていると考えています。また、高齢者宅への訪問や声かけ、地域での見守り活動を通じて、孤立を防ぎ、心身の健康を支える取組も行っています。結核予防、生活習慣病予防、がん検診の啓発など、時代の変化に応じて活動の幅を広げながらも、根底にあるのは「誰もが安心して暮らせる地域づくり」への思いです。
その根底にある「愛育のこころ」とは、「目配り」「気配り」「心配り」を通して人に寄り添い支える気持ちのことです。地域の活動に関心が無いと思っていた方から「地域の見守りを日々行うのはなかなかできることではない」と評価されたこともあります。少子高齢化の時代において、対象は子どもや保護者ばかりでなく、地域住民全体となっており、真庭の豊かな暮らしは、一人ひとりの愛育委員の温かなまなざしと行動によって支えられています。
食を通して笑顔になっていただく
食育推進ボランティア
地域における正しい食生活の普及と食育推進活動に取り組んできた栄養委員。栄養失調の時代から飽食、健康志向の時代となり、住民の食に関する価値観も変化してきました。このような背景もあり、行政委員としての「与えられた職責を全うする」という栄養委員制度の存続が困難となりました。
しかし、変遷していく時代だからこそ、地域における食育の取組を活性化させ持続可能なものにしていく必要があります。そのため、栄養委員制度から自立して食育活動を展開できる制度に見直すことになり、令和6年(2024年)4月から「食育推進ボランティア」が新たに誕生しました。令和7年3月時点で73人のメンバーがいます。ボランティア制度になったことで、自主性が拡がり、自分たちで考え勉強し動くことによって新たな発見が生まれ、それを次の活動に活かすという新たな好循環が生まれています。
主な活動は、学校・保育所・子育て広場などでの体験を中心とする食育活動や高齢者の集いの場などでのフレイル(加齢を起因とする身体機能の急激な衰え)予防活動などで、他の団体と連携し、積極的に活動を展開しています。令和6年度の食育活動数は156回、参加者数は4,170人となり、地域社会における食育活動の活性化につながっています。
おいしいものを食べると人は「笑顔」になります。その「笑顔」が食育推進ボランティアの活動を支えています。市民が今もこれからも心身共に健康であることを願い、自らが楽しみながら食を通して「笑顔」の輪を広げていきます。
(4)、高齢者を支える「ひと」(地域共生)
地域福祉については、前項で紹介したように地域推薦などにより選出された多くの心ある行政委員と、市役所や社会福祉協議会が一体となり、市民の穏やかな暮らしが守られてきました。しかし、人口減少や核家族化、高齢化が進むにつれ、高齢者支援がより深刻な地域課題となり、行政委員だけでは解決できない事態となってきました。
そこで新たな「ひと」の登場となります。新たな「ひと」は、これまでの地域や自治会の枠にこだわらず、困っている住民の支援に立ち上がりました。まちの担い手であることを自覚し、自ら手を挙げ、高齢者のおだやかな暮らしを支える新たな「ひと」の活躍を紹介します。
住民主体で運営する高齢者地域サロン
集いの場
-真庭の豊かな暮らしを支え、地域に安らぎを生み出しているのは、ほかでもない人と人のつながりです。その1つが、地域の皆さんが主体となって運営する「集いの場」です。
始まりは平成23年(2011年)、真庭市の担当者が出向き、運動機能向上や認知症予防について、講義とその実践をする形式でした。その後、岡山大学病院監修による「げんき輝きエクササイズ」を制作。これを活用しながら地域で集まって行う場づくりに力を注ぎ、平成28年、現在の地域の皆さんが主体となって運営・活動する形へと移行、名称を「集いの場」に改めました。さらに令和3年には、真庭市社会福祉協議会との連携により、さまざまな人が参加できる「集いの場」のスタイルができあがり、今日に至ります。
この活動は、「地域を明るくしたい、地域の人に元気で居てもらいたい、地域のサロン文化を続けたい」といった想いを持つ地域の担い手たち無しには語れません。真庭市と真庭市社会福祉協議会は、ときには後方支援を行い、住民の皆さんの想いを支え、活動の開始と継続につなげています。特にコロナ禍以降、人との関わりが薄れたことに危機感を覚えた担い手たちが、積極的に動き出したことが、「集いの場」の増加につながっています。
参加されている皆さんからは、「人と会え、話せてうれしい」「情報交換が楽しい」といった喜びの声がたくさん聞かれます。また、地域の人々からは「地域がもう一度つながった気がする」「前よりも地域が明るく、元気になった」という嬉しい声も寄せられています。
介護予防の観点からも効果は出ており、参加者の定期的な運動機能測定において、運動開始から1年後でも筋肉量の維持や、立ち上がり能力の維持・向上が半数以上の人で見られるなど、確かな成果につながっています。
令和6年度末時点で、104団体、1,293人が参加。参加者と担い手の繋がりのもと楽しんでいます。
トピックス
地域包括支援センターと集いの場
地域包括支援センターとは、高齢者や障がいのある方が住み慣れた地域(日常生活圏)で幸せに暮らすことを一体的(包括的)に支援しようと、平成18年(2006年)に設立された真庭市の直営組織です。
センターや出先となる振興局内のサブセンターには保健師等の専門職員が配置され、個人の困りごとや介護について社会福祉協議会や病院、介護老人保健施設、デイサービスセンター等と連携をとりながら細かく対応していきます。
さらに、高齢者が週に1回程度近くの集会所に集まり運動をすることにより、孤独でないことを実感し、同時に介護予防にも効果のある「集いの場」づくりを推進してきました。また、認知症サポーター養成講座等を開設し、チームオレンジ等の支援も行っています。
「ひと・まち・市役所」一体の成果
「集いの場」の開設や運営には、地域に多くの仲間が必要になります。地域包括センターの職員は真庭市社会福祉協議会の職員とタッグを組み、実際に地域の輪に飛び込み、運営スタッフとなるかたを探します。
その結果、多くのボランティアのかたが手を挙げてくださいました。ある運営スタッフのかたは、「ボランティアという意識はあまりありません。私にとっても暮らしの張りになり、一緒に体操をして自分も元気になりました」と、お話しくださいました。
社会福祉協議会も「社協の基本は市民目線です。今、困っている人を支えていきます」と主体的に関わっていきます。市役所も「小集落での助け合いの仕組みづくりが、持続可能なまちをつくる」と全力で取り組んでいます。
「ひと」「まち」「市役所」が一体となり起こしたまちづくりの成果がここにあります。
認知症サポーターの輪が広がる
チームオレンジ
認知症の介護を家族だけの時間にしないために、地域で本人や家族を支援する「ひと」がつながる「チームオレンジ」が、新たな展開を見せています。
まず、平成19年(2007年)、正しい認知症の知識を広める「認知症キャラバンメイト養成講座」が始まりました。
最初の受講生は介護職などの専門職を含めた住民でした。そこには、「認知症の正しい知識を知ってもらいたい」と思う多くの人々が集まり、「キャラバンメイト(サポーター養成講座の講師)」が生まれていきます。今やその数約400人。その結果、認知症サポーター養成講座により17年間で約1万2,000人の認知症サポーター(講座受講者数)が誕生しました。ボランティアの輪が広がっていきます。
平成26年10月、市内で8カ所の「オレンジカフェ(認知症カフェ)」がつきに一度開催されるようになりました。カフェではキャラバンメイトとサポーターの皆さんを中心に、地域のかたが誰でも安心して集まれる場として、お茶を飲みながらのおしゃべりや歌、クイズや体操をするなど楽しい時間を過ごしています。
また、平成21年度に認知症キャラバンメイトの発案から、なかなか外に出ることができない人の家に出向いて話を聞く活動「傾聴ボランティア」が立ち上がりました。
さらに、介護経験がある家族が集う「介護家族者の会」は、同じ経験を持つ者同士の仲間づくりの一助を担っています。
認知症になっても安心して暮らせるよう支え合う地域、共助の社会を目指して活動を続けています。
(5)、地域を守る「ひと」(地域自治)
時代の変化は地域に新たな課題をもたらします。真庭市発足後、住民生活に直結した地域課題として表面化したのが、防災と市道管理でした。これまで火事等の災害には消防署と消防団が出動し、地域住民の安心安全を守ってきました。しかし、気候変動により大災害が頻発する現在、安全安心は消防署と消防団だけに頼ることが困難になってきました。
また、道路の維持管理についても、真庭市が直営で市道管理(草刈り、路面修繕)を行っていたほか、自治会内道路については出役作業として「道つくり」があった自治会もあります。しかし、市直営による市道管理には限度があり、また地域住民の出役や、道に隣接する土地所有者による草刈り等にも限界があります。新たな力が必要でした。
この項では、「市役所」と「まち」だけでは解決困難になった地域課題の解決に立ち上がった新たな「ひと」の登場を紹介します。
自分たちの地域は自分たちで守る
自主防災組織
平成30年(2018年)7月の西日本豪雨。市内全域で雨が降り続き、家屋への浸水、土砂災害、路肩崩壊等が発生。市役所、消防本部、消防団は災害現場に急行し緊急対応に追われ、さらに市役所は避難指示を発令し、33カ所の指定避難所を開設し被災者を受け入れました。幸い1人の死者も出さず豪雨は収束しました。
しかし、西日本豪雨は、「真庭市は災害の少ない地域」と漠然と感じていた市民に災害の怖さを実感させ、行政などの「こうじょ」の限界を知ると同時に、自主防災組織が行う「共助」の重要性が見直される災害でもありました。「自主防災組織」は、地区住民自らが災害に対応する団体として真庭市発足直後から活動をはじめ、令和7年4月時点で市内に186団体あり、世帯の約8割が組織化されています。
ある関係者のお話です。「西日本豪雨で被災した後は、地区が管理する避難場所※に、民間施設を提供する人が現れ、新たな避難場所に追加しました。さらに、防災士の資格を取る人も出てきて、防災を市民レベルでやると地区の輪が広がるものだと実感しています」。
別の地区では、避難時に手助けが必要な人の名簿を独自に作成し、さらに災害時に避難場所に誰が誰を連れていくかなどを決めた独自の避難プランを作成している自主防災組織もあります。「災害時は、まず自分を守る。次に高齢者や要介護者など自分を守れない人を守る。みんなで生き残る」。関係者からお聞きした言葉が、住みなれた場所を守る「ひと」の覚悟の言葉として、とても印象的でした。
※令和6年版の地域防災計画では、避難場所362カ所、市が管 理する避難所61カ所(すべて避難場所と重複)が指定され ています。
小さな稼ぎ、大きな社会貢献
市道愛護団体
真庭市の市道総延長は約1,200km。一本道に換算してみると真庭と東京を往復するに若干足らない程の長さです。では、この市道の管理をどうするか。大きな課題です。交通量の多い主要道は、真庭市が建設業者等に草刈り・補修を委託しています。また、真庭市職員による見回りも強化し、道路の安全確保に努めて来ました。しかし、これほどの延長を持つ市道すべての管理を業者委託や直営でできるのか。危険箇所の補修等は真庭市の責任で行うにしても、すべての草刈り等の管理を真庭市が行うのは、財政上の観点からも無理があります。では、業者に管理委託できない市道はどうするのか。宅地や農地に面した道路は、地域の人の善意により草刈り等が行われてきました。しかし、善意だけでは限界があります。
令和4年(2022年)、真庭市は新たな制度を創設しました。「道路愛護団体」制度の創設です。自治会、青年会、また任意の団体を対象に、有償での市道管理を呼びかけたのです。この仕組みは大きな反響を呼び、令和7年度には約211団体が登録し、約4,200人が草刈り等の道路愛護に参加するまでになりました。
「年2回の市道草刈りに参加することで、自分が地域の一員だという自覚ができた」「これまでは地域活動に“つとめ”として参加してきたけど、少ないけど“稼ぎ”になり、参加するモチベーションが湧いてきた」。参加者から、そんな声が聞こえてきました。
道路愛護団体の年間管理総延長は約400km。市道の3分の1を彼らが管理していることになります。真庭市からの報奨金は1年間に約1,500万円。そのお金は、各自、分配される場合や作業後の慰労費に充てられる場合もあるでしょう。でも、確実に「ひと」の笑顔に変わっていきます。有償ボランティアの時代がやってきました。
(6)、子どもを育てる「ひと」(全市民)
真庭市誕生以降、常に子どもたちの未来を切り開くためのまちづくりが行われてきました。「市役所」は、幼児保育・教育施設のこども園化、学校施設の整備、公園の整備等を実施し、子育て環境を充実してきました。さらに「まち」は保護者と学校が一体となったPTA活動に加え、全ての子どもたちの成長を支える仕組みとして、全学校のコミュニティスクール化を「地域総がかり」で推進してきました。さらに令和5年度(2023年度)から、こども・子育て政策を市政の最優先政策にかかげ「こどもはぐくみ応援プロジェクト」を展開しています。
そして主役の「ひと」です。地域で子どもたちを育てる有志の皆さんが市内各地に誕生してきました。子どもたちの成長を自らの喜びとする素敵なみなさんを紹介します。
乳幼児親子が交流する
つどいの広場
結婚、そして待望の赤ちゃん誕生。お子さんの新しい生活が真庭市で始まります。その新生活の中で保護者は日々子育ての悩みが尽きません。以前は子育ての経験豊かなおばあちゃんたちが頼りになって「そのくらい大丈夫よ」「それは心配ね」と、いつも相談にのってくれました。今は核家族が多く、孤独になりがちです。そんな親子の交流の場として生まれたのが「つどいの広場」です。
参加者は乳幼児とその保護者、プレパパやプレママ、おじいちゃんやおばあちゃんも参加します。活動はお菓子作り、手あそび・うたあそび、絵本読み聞かせ、ベビーマッサージ教室、育児相談など広場ごとに工夫が凝らされています。
参加しているお母さんにお話を聞きました。「結婚後、市外から引っ越してきて知り合いがいなかったのですが、乳児健診の時に勧められ、つどいの広場に参加しました。そこで多くの友だちができ、今では困った時の駆け込み場所があるという安心感から楽しく子育てができています」。
運営スタッフは「地域につどいの広場をつくろうと、お母さん同士で相談しました。運営は不安だけど、できる範囲で力を合わせようと決めスタートしました。すると少しなら協力出来るよ、と地域の方の熱い支援がいただけるようになってきました。子どもが小学校へ入学しても、スタッフとして未だに楽しく活動してくれているお母さんもいるんですよ」とおっしゃっていました。
真庭市直営のつどいの広場のほかに民間が市の補助金を活用して運営を担っています。つどいの広場は令和6年(2024年)3月時点で、市内に7カ所あり、週に3~5日地域の公共施設等で開かれています。そして今や、年間延べ20,000人が利用する貴重な場となっています。運営スタッフの皆さんは、「このつどいの広場が、ここを利用して育った子どもたちに『真庭が大好き』と言ってもらえるような場になってほしい」と語ってくれました。
子どもの居場所づくり
放課後児童クラブ
子どもが小学校に入学すると、共働きなどで昼間家庭にいない保護者は大きな課題に直面します。こども園などでは仕事終わりに迎えに行けば良かったのに、小学校では3時頃には授業が終わるからです。子どもたちは、鍵っ子になるしかないのか、私が仕事を辞めなくてはならないのか。そんな切実な悩みを抱えた保護者が仲間を集め、声を上げ生まれたのが「放課後児童クラブ」です。
ところが、「放課後児童クラブ」を設立するための市役所との交渉などは自分たちでできても、昼間の子どもたちの面倒は自分たちでは見られない。そんな悩みに答えてくれるのが支援員や補助員たちです。子どもたちが安全に放課後を過ごせるように見守り、生活等の指導をしてくれます。子どもたちは、学年を超えて遊びの中から社会性を身につけ、元気に育っていきます。
令和6年(2024年)4月時点で、市内に「放課後児童クラブ」は17施設あります。通っている児童数は約570人。小学生の約3分の1が通っています。市役所も運営補助にとどまらず、できるだけ学校施設内でクラブ運営ができるようにと空き教室の改修や校内にクラブ専用施設を新築するなど、環境整備に力を入れています。
ある支援員にお話を伺うと、「教員を退職したばかりの時、保護者のお話をお聞きしました。私がやれば助かる人がいるという思いだけでしたが、いつの間にか自身の生き甲斐にもなっているような気がします」と仰っていました。また、別の支援員からは、「子どもがクラブでお世話になりました。仕事を辞め自由な時間ができたので、お礼のつもりで関わっています」との声もありました。
子育てや子どもの居場所確保は学校や家庭、市役所だけでするものではありません。地域の「ひと」との協働が、子育ての課題を少しずつ解決していきます。
体験、学習、食堂をボランティアが支える
おちあいおむすびぷろぐらむ
発足のきっかけは落合公民館で始まった「放課後子ども教室」。まだ放課後児童クラブがなかった頃、「子どもたちが遊べるように」と、年配のかたと触れ合う機会を設けていました。その後、日本ユネスコ協会の助成を受けて、令和6年(2024年)に独立したボランティア団体へ。ボランティアならではの機動性を生かして、「地方でも子どもたちに火がつけられるようなイベントを」という思いを胸に、「体験活動」「学習支援」「子ども食堂」の3つを活動の柱に据えました。
「おむすびぷろぐらむ」という名前は、3つの柱をおむすびの三角形に例えたものです。体験活動ではバラを凍らせる科学実験など、強烈なインパクトのある講座をいくつも実施。実際、科学に興味を持ち、その道へ進んだ子どもたちもいます。
また、一芸を持った地域の方々も講師として参加し、体験活動の場が子どもたちにとって「地元の大人たちと繋がる場所」にもなっています。「子ども食堂」では食育推進ボランティアの皆さんが協力。地域全体で子どもを育む環境を整えてきました。
「ボランティアだからこそできることがあると思うんです」。地域で子どもたちを育んでいくという思いがあるから、ボランティア団体として続いてきました。落合の子育てを支えています。
地域で学びと遊びの場を創出する
ユースセンター まぁぶる
子ども一人ひとりが本来の自分でいられる第3の居場所、「ユースセンターまぁぶる」。オープンのきっかけは、教員有志の集まりでした。コロナ禍で子どもと接することが制限される中、「それでも教育を止めるわけにはいかない」と真庭市をはじめとする岡山県内に勤める教員の勉強会を開催。当初は教員が中心でしたが、SNSを通じて「教育に関心のある人ならだれでも参加可能です」と発信したところ、120人を超える全国的なコミュニティへと発展しました。
「その勉強会で学んだことを子どもたちに還元したい」と令和4年(2022年)から拠点構想がスタート。教育有志団体だったコミュニティは、令和5年 8月にNPO法人となり「NPO法人manabo-de」へ。そして同年9月に岡山県北初の「ユースセンターまぁぶる」が久世にオープンしました。
駄菓子屋、子ども食堂、学習会など、地域と関わりながら子どもたちの「やってみたい」を叶え、いつも訪れる中高生は「ここに来ると、ひとりの人間として認めてもらえる」と言います。放課後、子どもたちが訪れることで「夕方になると子どもの声が聞こえて、明かりも灯る。それが嬉しい」と地域住民も話します。
拠点は少しずつ広がっており、勝山にある中央図書館でも「出張まぁぶる」を定期的に実施。真庭全体で子どもたちの居場所を整えていく仕組みづくりに挑戦しています。
