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53ページから70ページ

印刷ページ表示 大きい文字で印刷 記事番号:0116004 更新日:2026年4月20日更新
「ひと」が活躍する多彩な【まち】を目指して

真庭市 市制施行20周年記念誌

「ひと」が活躍する多彩な【まち】を目指して

【まち】10年の動き

 まちづくりとは、「ひと」が「まち」と「市役所」と協力し、地域経済の活性化、地域の魅力の向上、さらに地域の持続可能な発展を目指す活動を言います。そして、その活動の舞台が「まち」です。「まち」は市民が稼ぐ場所であり、楽しむ場所、安らぐ場所でもあります。さらに市民が共に手を携え子どもたちの未来を築いていく場所でもあります。この項では、まず真庭らしい回る経済と循環型社会の構築、産業振興、文化振興、福祉、そして地域振興に挑戦する団体の活動を紹介します。

(1)、地域内循環が新たな「まち」の仕組みとなる

 まちづくりを進める場合、地域をくまなく回り、そこで見つけた余ったものや捨てるものを資源と捉え、そこに新たな視点と工夫を加えることにより、まったく別の商品や産業が生まれる場合があります。真庭市では、このような地域資源を活用する取組を長年にわたり市域全体で、しかも社会を変革する規模で進めていきました。その結果、この10年間で全国でも例のない幾つかの成果を生むことになりました。

 この項では林業に新たな付加価値をつけたバイオマス発電の仕組みと、生ごみからバイオ液肥を製造する仕組み、さらに地域通貨を加えて紹介します。そこには内発型の市内産業があり、環境の保全があり、モノとカネが市内で回り、関係者の多くが恩恵を受ける仕組みがあります。真庭市が日本中に注目される理由がここにあります。

回る経済に大きく寄与する

真庭バイオマス発電所の稼働

 第2次総合計画(平成27年版)の副題は“「里山資本主義」真庭の挑戦”です。

 真庭市が全国に知られるようになったきっかけの1つに、平成26年(2014年)に日本新書大賞を

受賞した『里山資本主義─日本経済は「安心の原理」で動く』(藻谷浩介・NHK広島取材班共著 KADOKAWA/角川新書)の舞台の1つに取り上げられたことが挙げられます。そのなかで真庭市は木を使い切るまちとして紹介され、世界最先端のエネルギー革命が進んでいると評価されています。地域資源である木からエネルギーを得る営みは、江戸時代から脈々と続いてきた日本人の暮らしそのもので、地域内経済の再循環を構築する取組であると紹介されています。この考え方による「まち」の挑戦は真庭市発足前から脈々と続いてきましたが、この時期に大きな成果として結実していくこととなります。

 真庭市では平成27年4月、真庭産業団地に建設した真庭バイオマス発電所が稼働を始めました。未利用の木材を主原料にした木質バイオマス発電所としては国内最大級となります。

 発電能力は1万kw。年間発電量は約8,000万kwhで、一般家庭約2万2,000世帯の年間消費量に相当します。全量を国の再生可能エネルギー固定価格買取制度※を利用して売電することでスタートしました。

 建物や設備は、市内の木材会社や森林組合、真庭市などが出資する「真庭バイオマス発電株式会社」が、国の補助も含め約41億円で整備しました。同時に、安定操業に欠かせない燃料の調達は市内の木材関連78企業・団体でつくる「木質資源安定供給協議会」が担いました。バイオマス集積基地と地域内流通システムを構築し、木材を調達し燃料用にチップ化する一連の事業をスタートさせました。

 雇用も創出され、発電所に15人が新規採用されたほか、集積基地や関連事業を加えると、50人ほどが新たに職を得ました。

 発電所は初年度から順調に稼働し、運転開始から10年間の売上累計は218億円、燃料購入費が137億円にのぼり、地域の経済循環に大きく寄与しています。

 電気の“地産地消“も広がりました。稼働から1年後、発電した電気の一部を真庭市庁舎へ供給したのを皮切りに、順次市内の公共施設へ拡大。令和6年時点で、公共施設約100カ所に供給しています。太陽光発電などを合わせた地域エネルギーの自給率は約85%(令和5年市独自調査)に迫り、CO₂削減にも貢献しています。燃料の安定供給のため市内の広葉樹を活用する実証や耕作放棄地などで早生樹を栽培する実証が始まっています。

※固定価格買取制度とは、

 太陽光・風力・水力・バイオマスなどの再生可能エネルギーで発電された電気を一定の価格で電力会社が買い取ることを国が義務付けた制度のこと。

循環型社会の構築へ向けて

生ごみからバイオ液肥を製造

 真庭市が、生ごみなどから製造した液体肥料を農業に使う「バイオ液肥事業」に着手したのは平成26年(2014年)。「真庭広域廃棄物リサイクル事業協同組合」(以下、事業協同組合)とともに、先進地の液肥を使い、栽培実験を始めました。翌年5月には、事業協同組合が液肥実証プラントを整備。久世地区で分別収集された生ごみなどで液体肥料(有機肥料)を作り市内の水田で実証実験に取り組みました。続いて家庭菜園でも利用してもらうため、平成29年からバイオ液肥の無料スタンドを市内数カ所に設置しました。

 もともと、市が生ごみの資源化事業を進める背景には、市内3カ所のごみ焼却施設が老朽化したため、ごみを焼却ごみ、資源ごみ、生ごみに分別し、量が3分の1になった焼却ごみだけを焼却すれば焼却場を1つに出来ないかとの思いがありました。

 また、公共下水道や合併浄化槽などの整備が進む中で、し尿処理場(1カ所)も施設更新時期を迎えていました。生ごみ等資源化施設は生ごみだけでなく、し尿や浄化槽汚泥も一体処理でき、より高品質の液肥製造が可能との調査結果もあり、液肥化事業の推進を決定しました。市の試算では、3焼却場を建て替えずに1つに統合、し尿処理場は廃止、新たに液肥製造施設を設置した場合、事業費は全ての施設の再整備費用約120億円から約70億円に抑えられ、維持管理費も年間約5億円の減少が見込まれました。

 実証実験では、コメ、野菜とも化学肥料と遜色ない食味が得られ、肥料代の低減も期待されました。課題となったのが液肥の濃度。従来の液肥は水分含有率が高いため大型散布車が必要で輸送や貯留などに問題がありました。このため肥料成分の濃縮(約7倍)を計画。濃縮によって汎用の小型機で農地の規模や場所を選ばず散布でき、散布量の大幅削減や運搬コストの軽減も見込まれました。

 液肥製造施設の建設場所は、地域の協力が必要と公募を実施。応募のあった複数候補の中から現在地を選定し、令和3年に着工しました。構内にはバイオ液肥を再生する「生ごみ等資源化施設」に加え、全国でも数少ない「バイオ液肥濃縮施設」などが整備され、真庭市くらしの循環センター「まにくるーん※」として令和7年1月から本格稼働しました。運営は事業協同組合が受託。これに合わせて生ごみの分別収集が全市へ拡大されました。

 焼却場が1カ所に統合されることにより燃えるごみを約40%削減、温室効果ガスの大幅な減少に寄与することになりました。同時に年間約800トンの液体肥料が製造され、循環型農業の拡大に向けて動き始めました。振り返ると、江戸時代の畑の肥料はし尿と生ごみを発酵させたものでした。全てを使い切る昔の人の暮らしの英知が、現代に蘇った事例となりました。

※まにくるーんとは

 資源化能力は生ごみが年3,000トン、し尿・浄化槽汚泥が年30,000トン。これらをメタン発酵させ、再生したメタン発酵消化液(チッソ濃度約0.3%)を濃縮施設でバイオ液肥(チッソ濃度約0.6%)と濃縮バイオ液肥(チッソ濃度約2.0%)にします。メタン発酵消化液の全量濃縮は日本初の試みになります。

13年かけて課題を解決

 生ごみの資源化には、当初から(1)、生ごみが集まるか(市民合意)、(2)、生ごみで液肥ができるか、(3)、液肥を誰が使うか、という大きな課題がありました。これに対して市と事業協同組合が連携し、分別収集の実証実験を繰り返して地域拡大を図り、また先進事例をしっかり研究(液肥化・濃縮)したほか、無料スタンドで家庭菜園への使用を促進したり、散布方法を研究して小規模水田での使用を可能にするなど、13年間、事業の課題解決を継続し、これが実を結びました。「SDGs未来都市」への選定が市民に環境保全をアピールしたことも追い風になりました。

インタビュー

もたに こうすけ氏

「真庭は単なる地方ではなく、世界をリードする自治体」と実感しています。もっと誇りを持って、挑戦を続けていってほしい。

書籍『里山資本主義』で真庭を取り上げ、以降真庭に関わっていただいているもたに こうすけ氏にお話を伺いました。

 -真庭に関わられたきっかけを教えてください。

 子どもの頃から全国の市町村を訪ね歩くのが好きで、真庭地域は以前から訪れていました。仕事として関わったのは2011年頃、NHK広島が制作した番組『里山資本主義』シリーズに私が出演し、真庭市が取り上げられたときです。製材所が何十社も残っていることを知って驚きました。製材や木材加工は全国的に衰退していたのに、真庭では残っていた。これは極めて特殊なことです。

 なぜ真庭では製材所が多く残ったのでしょうか。

 豊かな山林資源があり、製材所が関西に販路を持っていたことが大きい。とくに重要なのは、バブル期以降、集成材に活路を見出したこと。集成材事業も展開したことで、大量に発生する木屑を、産業廃棄物ではなくエネルギーとして活用する道を開いた。この循環が、真庭に製材所が残り、真庭の強さの根幹だと思います。

 『里山資本主義』について教えてください。

 お金だけに依存するマネー資本主義の対極にある考え方で、水や食料、燃料を身近な地域資源から得られるネットワークを構築し、安心で持続可能な社会をつくる思想です。木質バイオマスに取り組む真庭は、まさにその最先端事例でした。

 ただ、執筆には半年ほど躊躇しました。表面的な模倣が広がることを危惧したからです。案の定、官主導で大規模な発電所をつくって失敗した自治体が続出しました。真庭が成功したのは、民主導で官と連携しながら小さなパイロットプラントから段階的に拡大したからです。人材の質の高さも決定的でした。

 日本における真庭の役割をどう見ていますか。

 今、水も農作物もエネルギーも自給できていない都市が多く存在します。その中で真庭は林業・製材業をはじめ、工業団地や農業、畜産、観光業など、小さな産業を複合的に持ち、なおかつエネルギーの地産地消にも取り組んでいます。旧町村も良い意味でどこも突出していない、多極分散の構造に成功しています。ひとつの産業が衰退しても他が支える強さが真庭にはあります。その姿は、持続可能性を模索する都市部や他自治体のモデルとなる役割を担っているのだと思います。

 今後、真庭に期待することはありますか。

 -真庭の人たちにはもっと誇りを持ってほしいと思います。日本全国、また世界150カ国以上見てきて、「真庭は単なる地方ではなく、世界をリードする自治体」だと実感しています。サステナブルという観点からも日本のモデルとなるところです。複数の個性的な地域、産業が集まって、全体としてすごい力を発揮している。スイスに通ずるものがあると思います。未来を照らす存在として、これからも挑戦を続けてほしいと願っています。

もたに こうすけ氏のプロフィール

 昭和39年(1964年)山口県生まれ。東京大学法学部卒業。地域エコノミスト。株式会社日本総合研究所主席研究員。平成大合併前の約3,200の市町村すべてを私費で訪問。地域特性を多面的に把握し、実際に耳目に触れたことを言葉にしながら、地域振興や人口問題をテーマに精力的に研究・執筆・講演を行っている。真庭市においても各地域を自らの足で回り、独自の視点での分析を加え複数回の講演を行っている。真庭市等を舞台とした『里山資本主義』(NHK広島取材班との共著)は、2014年新書大賞を受賞。他に『デフレの正体』等の著作がある。

通貨に加え、スーパーアプリの機能も

デジタル地域通貨「まにこいん」の展開

 地域通貨とは、円のように国が発行し国内どこでも通用する通貨ではなく、特定の地域内限定で自治体等が発行する通貨です。スマートフォンを活用したデジタル形式での運用は、新たな行政ツールとしても着目されています。

 真庭市は令和5年(2023年)1月、デジタル地域通貨「まにこいん※」の運用を始めました。スマートフォンの専用アプリに現金をチャージ(入金)すると、市内の商業施設などの加盟店でキャッシュレス決済が利用できる仕組みです。支払金額などに応じてポイントが付与され、1ポイント1円として使えます。

 SDGsと共生社会の推進を掲げる市が、地域内での経済循環や地域コミュニティの活性化などを目指し、真庭商工会や銀行等7団体と推進協議会を立ち上げ、連携して運営や普及に当たるものです。

 推進協議会では人口の4割を占める高齢者層へ浸透させるため、市内21郵便局でのアプリ導入サポートや自治会での説明会、スマホ教室などを開催。一方で地域ごとに店舗説明会を開いて加盟を働き掛けました。

 令和6年2月、歩数や体重などを記録する健康管理機能を追加し、歩数などに応じて「けんこうポイント」が獲得できるようになりました。8,000歩以上歩いた日、体重を記録した日は各1ポイントなどが付与されます。

 市民の間では、けんこうポイントの獲得数が話題になるほど関心を集め、運動習慣の動機付けや定着に大きな効果を上げています。

 利用者数は目標を上回り、同年3月末時点で2万人を突破、人口のほぼ半数に達しました。加盟店は229店、総流通金額は1億7,478万円になりました。

 令和7年1月、新たにスーパーアプリ機能を持つ「まにあぷり」を導入。従来の機能に加え、暮らし、健康、子育て、交通、観光など多分野の情報を提供したり、各種アンケートを「まにあぷり」経由で行えるなど市役所と市民をつなぐアプリとして期待しています。

 今後の課題は、地域貢献活動へのポイント付与の仕組みを実装し、市民の地域活動への参加促進を図る展開です。真庭市では、令和7年度から介護施設や介護・認知症予防事業などを支援するボランティア活動にポイントを付与する取組に着手しており、さらに便利な機能やサービスの充実を図る予定です。

※まにこいんとは

 真庭市内限定のデジタル通貨。単位は「まにぃ」で、1まにぃ=1円で使えます。市内8カ所に置かれたチャージ機のほか銀行のATMや口座からアプリに現金を入金。店頭に置かれたQRコードを読み取り、代金を支払います。支払金額の1%がポイント還元されます。市税や一部交通機関の支払いも可能。加盟店は決済時の手数料などはかかるが、設備費用は不要。令和7年(2025年)3月31日時点で、利用者24,783人、加盟店251店。

(2)、稼ぐ力が「まち」を未来につなぐ

 人口減少は全国規模で進行しており真庭市も例外ではありません。本記念誌の123ページには「データから見る真庭市」が掲載されていますが、そこには真庭市の人口減少と少子高齢化の進行状況が統計データとして示されています。しかし、同じく産業統計データを見ると製造品や農業の出荷額が確実に増えています。これは厳しい環境に耐えながら挑戦を続ける産業界の努力の結果であり、各産業分野の新事業開拓や市民の働く場所の確保につながっていきます。

 この項では、この10年間で新たな挑戦を行った農業団体の取組、産業団地に立地した企業の思い、観光事業に「ひと」という新たな観光資源を創出した観光団体の取組を紹介します。

農業

農業を支える団体としては、「晴れの国岡山農業協同組合」が代表格であることは間違いありません。農家の稲作支援や専業農家等によるブドウ、大根、キャベツなどの特産品振興支援は農協本来の業務であります。また、「蒜山酪農農業協同組合」も、蒜山地域の酪農振興に果たす役割は多大なものがあります。しかし、この団体も同じく酪農振興は本来業務であり、長い歴史と伝統に裏打ちされた団体であります。それゆえ、この項では農協とは別に、農業支援を行っている団体の、この真庭ライフスタイルの時代に行われた農業改革をお伝えします。

ブドウ栽培に挑戦する

(一社)蒜山農業公社

 平成12年(2000年)、旧やつか村と旧川上村の農業団体が合併して「一般社団法人蒜山農業公社」が誕生しました。当初の業務は、酪農用の草地管理と蒜山堆肥センターの運営でした。しかし、酪農の大規模化による採草地の自己管理化、さらに糞尿の自家処理酪農家の増大に伴い、次第に苦しい経営を余儀なくされていきます。そのため、生き残りをかけ菌床シイタケやキクラゲの試験栽培、農作業受託、除雪・除草受託と多様な事業を展開してきました。

 令和2年、「蒜山農業公社」は新たな事業に進出しました。これまで冷涼な気候のため蒜山では適さないとされていたブドウ栽培です。成功すれば寒冷地でのブドウ産地拡大につながる全国的な先行事例となるため関係者からの大きな期待を受け、岡山県農業普及指導センター、農協の指導のもとスタートしました。

 令和6年、本格出荷が始まりました。特に主力となる新品種オーロラブラックは、そのおいしさと、他のブドウ販売が終わる10月に売り出されるため大変な人気で、関西を中心に販路拡大が図られています。

 さらに、特筆すべきは実際の作業者が農業公社を支援する一般市民だということです。まちづくり団体と地域住民一体となった取組は、蒜山地域全体でのブドウ栽培拡大や、移住者等新規就農者の呼び込みに大きく貢献する好事例となっています。

ワイン界に確固たる地位を築いた

 農業生産法人ひるぜんワイン(有)

 昭和53年(1978年)、旧川上村において自生のヤマブドウからワインを造る試みがスタートしました。当初はゼロからのワインづくり。蒜山高原に自生していたせんぼんの野生の木から糖度の高い木を10年かけ選抜するなどの地道な作業を続け品質向上に努めましたが、経営を含め苦難の連続でした。平成18年、転機が訪れます。「むらおこし特産品コンテスト」で経済産業大臣賞を受賞。一定の評価を得ます。

 そして平成22年、飛躍の時です。製造工場の老朽化に伴い、新たに製造と販売施設が一体となった「ひるぜんワイナリー」を真庭市が三木ヶ原地内に建設し、「農業生産法人ひるぜんワイン有限会社」が指定管理者となりました。そして、ワイン製造設備や販売スペースの内装は高い専門性が必要と、会社自らの資金で整備しました。

 これらの経営努力が実を結ぶ時が来ます。平成30年、アジア最大のワイン審査会ジャパン・ワイン・チャレンジで金賞を受賞。地域おこしの枠を超え、日本のワイン界に確固たる地位と多くのファンを獲得していきます。

 さらに市内民間企業に資本参加を求めて真庭市の資本比率を10%程度に下げるなど民営化を進め、グリーナブルヒルゼンに隣接した土地に、次世代のヤマブドウ栽培を目的とした新圃場をオープンしました。農業振興から特産品開発、さらに観光に寄与するまでになった「ひるぜんワイン」の挑戦は続きます。

商工業

真庭市の商工業の振興を図る組織は「真庭商工会」です。設立は平成18年(2006年)4月、旧真庭郡と北房町の商工会が合併し誕生しました。真庭市の商工業者数は中山間地域の全国的な傾向と同じく、令和元年が2,277事業者に対して令和6年には2,088事業者と減少傾向にあります。しかし、商工会員数(真庭市エリア)に関しては、令和元年が1,405会員だったのに対して、令和6年は1,435会員と増加しています。理由は移住者や若者による新規の起業等が考えられます。また、工業製品の出荷額も増加傾向にあります。商工業は真庭市が元気になる基本です。この項では、真庭産業団地への企業立地の経緯を紹介します。

雇用創出で市民生活に寄与する

真庭産業団地

 平成14年(2002年)、高速道路のクロスする優位性に着目して、岡山県が久世IC(インターチェンジ)に隣接する丘陵90haに12年の歳月をかけて整備した「真庭産業団地」が完成しました(分譲面積34ha、33区画)。

 完成後は県・市一体となった誘致活動や、真庭市による用水供給、公共下水、高速インターネット環境整備といったインフラ整備、さらに真庭市の企業立地促進策(奨励金・補助金等)などが実を結び、令和7年現在、33区画中32区画が立地済みで、産業団地という名前の通り、製造、流通、バイオマス発電所などの多様な企業が立地しています。

 立地したある企業のお話です。「最初に県や市からお誘いをいただいたとき、正直第一候補は他の自治体でした。でも調査をすると切土による造成であることから災害に強いのではないか、久世ICのすぐそばという場所も物流面でのメリットもあると判断しました。また10分ぐらい走るとスーパーマーケットなどがあり、従業員にとっても暮らしやすい場所だなと考え、立地を決めました。立地後もフォローしていただき、今では準地場企業くらいの気分です」。

 多くの市外企業の立地と同時に、地域に根差した地元企業も進出しました。

 立地18社の内、8社が市内に本社を置く企業です。さらに本社は別にありますが、2社は昭和の時代からの真庭市への進出企業で、き現工場とは別に新工場を増設したものです。

 産業団地は雇用の創出が大きなメリットと言われます。真庭産業団地においても300人を超える新規雇用が発生し、市民生活の安定に大きく寄与しました。さらに、市内には多くの連携企業が存在し、経済循環、雇用の創造と、市内の活性化に大きく寄与しています。

 団地完成当時の広報紙に、立地された企業の方からこんな声が届いています。

 「真庭は昔たたら製鉄で栄えた場所です。その遺伝子を工業に生かしていきたいですね。従業員は真庭の人がほとんどです。会社の技術と思いを、次世代に伝承したいですね」。

「会社の海外事業の関係から立地を大阪か真庭で悩みました。量産体制を図るため真庭に立地しました。真庭の人には、人情が厚くへこたれない、地味だけどやり遂げる底力を感じています。真庭の人と共に会社も成長していきます」。

観光

団体客、宿泊客の減少や外国人の増加など、観光ニーズの多様化が進む中、真庭市は平成28年(2016年)市民によるワークショップを開催。そこで導き出されたのが、旧来の「観光」の概念とは異なる「観光地域づくり」への転換でした。観光地域づくりとは、観光を風光明媚な景観を魅力として宿泊や飲食のサービスをする事業としてだけでなく、地域の持つ多様な資源を活かし、住民が担い手(主役)となり観光による効果を地域全体に波及させようというものです。

 中でも「ひと」を真庭の重要な観光資源と位置づけ、地域で活躍する人に会いに行く観光を前面に出しています。そこで真庭の魅力を体感してもらうことで、人と人のさらなる繋がりや新たな連携が生まれていく、そんな「住んでよし、訪れてよし」の観光地域づくりを目指しています。

新しい地域価値を創り出す

(一社)真庭観光局

 平成30年(2018年)4月、真庭観光連盟の後継組織として「一般社団法人真庭観光局」が設立され、観光地域づくりをスタートさせました。事業責任者には「観光地域づくりマネージャー」を配置。マネージャーには、これまでの観光事業者であるかどうかに関係なく、民間人の中から地域の幅広い業種の若手リーダーを選任(令和7年時点で15人)し、それぞれが自分の興味や強みを生かした企画を立案、実施していく仕組みを構築しました。

 -真庭観光局として実施した事業は、まず市民に真庭を知ってもらおうと「市内SDGs交流ツアー」を実施。これまで市民約6,000人が参加し、市民が真庭を見直す企画となりました。真庭に住む素敵なひとに会いに行くツアーとしては、発酵の息づくまち“真庭”を巡る「まにわ発酵ツーリズム」、寺院有志がお寺の魅力を届ける「旅僧まにわ」などが開催され、人気を博しています。

 平成18年に始まった「バイオマスツアー」は産業観光拡大事業として展開。コースの充実やプロモーションの強化などを図り、参加者は令和6年度末で累計4万人を超えました。また、インバウンド強化事業として台湾と韓国にツアーデスクを置き外国人観光客の誘致も進めています。

 さらに蒜山、湯原、勝山、北房の観光協会も地域の魅力を前面に押し出した観光事業を展開し、コロナ禍の令和2年には237万人まで落ち込んだ観光入込客数も、令和7年には305万人にまで復活しました。

 ツアー以外の企画としては、個人でも真庭の魅力的な人に会いに行けるガイドブック「真庭の人びと2022」を発刊しました。「ひと」の魅力に触れようと個人でも真庭を訪れる人が増えています。さらに、市内6エリアで順次開く飲み歩きイベント「真庭de、のみいの」を開催するなど、地域の稼ぐ力を支援しています。市民ならではの視点を生かした多くの企画が展開され、新しい地域価値が創り出されており、真庭の「ひと」や「まち」の再評価に繋がっています。

(3)、「まち」は市民が楽しむところ

 「まち」は稼ぐ場所であると同時に人生を楽しむ場所でもあります。文化・芸術とスポーツは、日々の暮らしに楽しさと感動を与えます。歴史は過去の教訓であり、市民自らが真庭の歴史を検証することにより、今を生きることに誇りを与えます。真庭ライフスタイルの副題である「多彩な真庭の豊かな暮らし」の示す豊かな暮らしとは、まさにこのような市民活動も含まれます。この項では、その活動の舞台となる公共施設を運営する団体等と、その活動内容を紹介します。

文化・スポーツ・歴史

 文化・スポーツの振興については、真庭市発足前は公民館・体育館・グラウンドを舞台に行う役場の直営事業と、文化やスポーツの愛好家の集まりである文化協会・体育協会の行事が中心でした。真庭市誕生以降、新たな公共施設が誕生していきます。勝山文化往来館「ひしお」は、工芸・彫刻・絵画等の芸術鑑賞という新たな楽しみを市民に提供しました。この流れは民間施設にも広がっていきます。久世地域には25席のミニ映画館「ビクトリィシアター」が誕生しました。運営は市民団体が創意工夫を加えながら行っています。

 また、地域の歴史研究をテーマとした市民活動は現在市内各地に広がっています。後述する「ひと」の項に紹介されている歴史をつなぐ活動(77ページほか)以外にも、中世の山城や街道の研究等多岐にわたる活動が行われ、大きな成果を挙げています。

 この項では文化・スポーツ施設の管理という旧町村時代の設置目的を超え、真庭市の文化やスポーツ振興をけん引する役割を担っている公益財団法人と、歴史研究を、深ぼり、していく直営施設の活動を紹介します。

情報と文化の発信拠点

(公財)真庭エスパス文化振興財団

 平成5年(1993年)、旧久世町は旧遷喬尋常小学校の敷地内にKHK(旧久世町エリア限定のケーブルテレビ局)を開局しました。さらに平成9年、同地に文化ホールと図書館の複合施設である「久世エスパスセンター」を建設しました。そして、これら施設を一括して管理する団体として「財団法人久世エスパス振興財団」が設立されました。

 真庭市発足後は、市内全域をカバーするケーブルテレビ「MIT(真庭いきいきテレビ)」の指定管理を受託し、平成24年「公益財団法人真庭エスパス文化振興財団」と改称。文化振興事業も日本最高水準の音楽ホールであるエスパスホールの活用のみならず、近年は市内最大規模の文化ホールである「勝山ポンテホール」の舞台管理や、それ以外の市内ホールでも文化公演開催などを実施。通常市内では触れることのできない多様な文化に子どもから大人まで幅広く触れていただこうと、設立以来およそ28年間で900回を超える公演を主催してきました。

 また、平成26年から市と連携し市内の小・中学校に芸術家を派遣する「アウトリーチ事業」を実施、11年間で延べ80校において子どもたちに音楽や演劇に触れる機会を提供してきました。さらに、令和4年から市内の多様な文化活動を支援しようと助成事業を実施。演劇、音楽、映画、文芸活動等に助成し、真庭市民全体の文化・芸術の向上に寄与してきました。

 真庭市の情報と文化の発信拠点として大きな役割を持つ財団に成長しました。

新たな挑戦で活動の幅広げる

(公財)真庭スポーツ振興財団

 平成7年(1995年)、旧落合町が設置した落合総合公園の管理団体として「株式会社おちあい振興公社」が設立されました。収益事業ができるようにと、当時の落合町、落合商工会、落合農協が3者で株式会社化し、市民スポーツ振興や市内外からのスポーツ合宿等の受け入れを進めてきました。

 令和元年に真庭全域でのスポーツ振興を担うため、「一般財団法人真庭スポーツ振興財団」に改組。この時点で大きく活動の幅を広げることになります。まず、スポーツ施設の管理については、落合総合公園以外に久世地域のスポーツ施設全体と勝山健康増進施設「水夢」の指定管理を受託します。また、真庭らしいスポーツを推進しようと、総合型地域スポーツクラブ等と連携しながらユニバーサルスポーツ(年齢や性別、障がいの有無にかかわらず共に楽しむスポーツ)としてボッチャ等に取り組んできました。多様な人が認め合う社会づくりがスポーツの世界でも進められようとしています。

 令和6年、公益財団法人に移行。主催事業として年間60事業を超える市民の年齢・性別に合わせた健康づくりなどの教室を実施しています。さらに総合型スポーツクラブなどと共催してのスポーツ教室を年間50回程度行うなど、真庭市のスポーツ振興の中核となる財団に成長しました。

埋もれた歴史に光を当てる

蒜山郷土博物館

 「蒜山郷土博物館」は市直営の施設です。本来、「まち」の項目で紹介するにはふさわしくないかもしれません。しかし、当館が行う歴史の掘り起こしは、市民に歴史的観点から真庭市の個性をもう一度考える機会を与え、「まち」の発展に大きな影響を与えているので、この項で紹介することにします。

 「蒜山郷土博物館」は、蒜山地域の旧石器時代の出土品、古風な形式を残す大宮踊、地域における技術の結晶である郷原漆器等を常設展示し、また歴史的景観や生業、芸術文化等を再評価した企画展を開催するなど、蒜山地域の歴史の流れを肌で感じることのできる博物館です。そして今、当館の調査により、埋もれかけていた真庭のある歴史に光が当てられることになりました。それは、真庭と戦争(第2次世界大戦)との関わりです。

 昭和10年(1935年)から終戦までの約10年間、蒜山地域に当時日本一の広さを誇る「蒜山原陸軍演習場」が置かれました。蒜山地域では陸軍向けの産業も興り、住民にとっては現金収入を得る点では有益だった一方、日常生活への規制が強いられる面もありました。

戦後、蒜山地域が観光地として発展するなか、その実態は住民の記憶から遠のいていきました。しかし、近年の当館の調査の結果、元兵士や地元の古老たちの証言から、特攻訓練や軍事機密であった「毒ガス実験」などが日常的に行われていた事実が明らかになり、また、木造兵舎、地下壕、トーチカ等の存在が確認されるなど、地元に残る戦争遺跡として、あらためて注目が集まり始めました。

 企画展では、戦争の時代を見つめ直したり、将来への保存や平和学習への利活用を望んだり、訪れた人に一石を投じることとなりました。戦争を学術的な視点で再評価すると同時に、当時を生きた人々の貴重な話に耳を傾ける企画展となりました。

 歴史的事実を多方面から見ることにより、「ひと」はお互いを理解していきます。そして、その英知を糧に「まち」は未来に向かっていきます。

(4)、福祉のこころが「まち」を包む

 おだやかに暮らせる「まち」に住むことは多くの人の願いです。真庭市においても市民が心安らかに暮らせるため、医療や福祉の関係者の皆さんが不断の努力をされています。さらに、住み慣れた地域においても、多くの住民の支え合いや助け合いがなされ、高齢者等が心安らかに暮らしています。そして、そのような「まち」であり続けるため、いろいろな団体の活動が進められています。この項では、市役所と役割を分担しながら福祉のまちづくりを進める社会福祉協議会の活動を紹介します。

市民と同じ立場と目線に立つ

 (社福)真庭市社会福祉協議会の活動

 平成17年(2005年)、9町村ごとにあった社会福祉協議会が合併し、社会福祉法人真庭市社会福祉協議会(以下、社協)が誕生しました。しかし、組織の改編に関わらず、社協の視点は常に地域とそこに暮らす人に向けられてきました。そのため、旧町村ごとに支所を残し、福祉活動の専門員を配置することで、地域に根ざした支援体制を維持してきました。社協は「ふだん通り暮らせる幸せ」を守るため、変わらぬ努力を積み重ねてきました。

 介護事業は、市の支援を受けて実施する特別養護老人ホームやすらぎ(湯原)の運営をはじめ、各種介護サービスを展開しています。高齢者などの自宅を訪問し、入浴や食事の介助などを行う訪問介護事業は、令和6年度は2,118人に対し、延べ1万6,075回のサービスを提供しました。また、障害者を対象とした訪問介護事業は、同年度369人に対し、延べ1,921回訪問を行っており、多くの人が社協の訪問支援を必要としています。

 小地域福祉活動の舞台は、概ね生活の基盤となる旧小学校区であり、それぞれに地区社会福祉協議会(以下、地区社協)を設置しています。地区社協の活動は社協が委嘱する福祉委員や地域住民が主体となり、社協職員と協働し(共に)地区の個性を活かした活動が展開されていきます。

 地区社協の主軸となるのは見守り活動です。重要な取組の1つに「助けあいマップ」の作成があります。これは地区内の高齢者や障がいがあり、見守りが必要な世帯の情報を地図上で確認・共有し、見守りのネットワークを構築するものです。関係者からは、「見守りとは、自分が社会の一員であることを自覚し、自分にできる範囲で行うボランティアです」という声も聞かれます。

 また、地区社協内で世代を越えた住民同士の交流活動を進め、地域のつながりを作る活動に取り組んでいます。身近な場所で気軽に集い、交流できる場である「ふれあい・いきいきサロン」は204サロンとなり52%(439自治会)で活動が広がり、年間延べ3万5,800人が活動に参加しています。

 助け合う心の醸成、ボランティア活動を支えることも、社協の重要な役割です。災害時支援や障がい者支援を目的としたボランティア講座の開催、夏休み期間に中学生等を対象として行う社会福祉施設などでのボランティア体験などを通じ、子どもたちからは「障がい者を身近に感じ、共に生きていくという気持ちになった」という声も寄せられています。

 こうした地域住民や関係団体と共に取り組む社協の継続的な活動により、「ボランティア市民活動センター」への登録数が令和7年3月末で41グループ、1,081人となっており、共生社会の姿が着実に形づくられています。

(5)、地域振興は「まち」を元気にする

 合併前の真庭市では、多くの町村で地域振興のための施設整備がなされ、その管理運営のための団体(第3セクター)が設立され、地域の発展や住民の雇用を守ってきました。しかし、近年の全国的な傾向として、特に収益を目的とする施設の場合、経営が健全になされていないと施設の閉鎖や団体の解散に追い込まれる事例が見られます。そんな中、真庭市の団体の多くは、本来の施設管理の目的を達成した上、さらに自主的に事業を展開し、経営の健全化及び地域貢献を達成しています。代表的ないくつかの団体を紹介します。

地域主導で観光事業を展開する

(株)グリーンピア蒜山

(川上地域振興施設指定管理者)

 平成2年(1990年)に旧川上村が特産品販売と地域経済の活性化を目的に設立した「株式会社グリーンピア蒜山」の最大の特徴は、株式の約3分の1を各集落(自治会)が分担して持っているところです。設立以降、行政と住民が共に経営責任を負い各種事業を行ってきました。

 真庭市から指定管理を受けている施設は、市内最大の農産品直売所である「道の駅風の家」をはじめ、特産品販売と自主事業で名物料理ジンギスカンなどを提供する「三木ヶ原ふるさと特産館(ウッドパオ)」、市内唯一のスキー場でナイター営業も行う「ひるぜんベアバレースキー場」、ハーブやラベンダー畑が整備され都市部との交流により蒜山高原のイメージアップに寄与している「蒜山ハーブガーデンハービル」、特産品である蒜山そばの生産と6次産業化を行う「ひるぜん蕎麦生産組合」と連携し、蕎麦料理の提供を行う「そばの館」があります。

 以上の施設は、季節性が高いので施設間の職員の移動を柔軟に行い、地域住民の通年雇用に寄与しています。従業員総数(アルバイトも含む)は75人(令和7年9月時点)。地域主導の観光事業を展開する姿勢は指定管理施設としての評価も高く、第3セクターの成功例と評価されています。

馬とともに地域に貢献する

(株)ノア

(蒜山高原ライディングパーク指定管理者)

 平成17年(2005年)、岡山国体の馬術競技会場として旧やつか村が整備した「蒜山高原ライディングパーク(通称蒜山ホースパーク)」を、大会終了後、「株式会社ノア」が指定管理者となり現在に至っています。社長の原田喜市氏は、リオデジャネイロオリンピックにも出場した日本を代表する馬術競技選手で、馬事全般への造詣が深く、単に施設管理に留まらず多様な事業を展開しています。

 まず乗馬普及事業では、乗馬体験が蒜山の魅力の1つになっています。さらに、引退競走馬の余生を過ごす施設としても活用され、過去に活躍した競走馬を観るために多くの競馬ファンが全国から集まるサラブレッドの福祉団体「オールド・フレンズ・ジャパン」の活動も人気を集め、馬術の普及にも多くの成果を残しています。

 地元の馬術スポーツ少年団も人気で、さらに勝山高校蒜山校地馬術部も当施設で指導を受け、全国トップクラスの成績を残しています。さらに、施設と運営団体の馬事全般のレベルの高さが着目され、岡山理科大学専門学校ホーストレーニングコースの実習施設と位置付けられ、2年生は競走馬等の厩務員を目指し、蒜山の地で1年間、馬の飼育やトレーニングを勉強しています。

 蒜山地域では高校生や専門学校生は、中国四国酪農大学校の生徒と同様、地域でアルバイトなども行い、地元にとって必要不可欠な存在であり、住民に親しまれ、かつ地域の活性化に大きく貢献しています。

住民に愛される事業を展開する

(有)醍醐の里

(道の駅醍醐の里指定管理者)

 平成14年(2002年)、国土交通省の道の駅を中核施設として、旧落合町が農産物直売所を整備しました。「有限会社醍醐の里」が開設時から運営を行っており、直売所としては真庭市南部最大規模に成長しました。さらに施設内の農産物加工場は、出荷者自らが衛生的に農産物等の加工が行え、農家の収入増の一助になっています。単なる農産物直売所にとどまらず、自主事業でレストランや地域の高齢者のための給食サービスを展開し、市役所と連携したリユースプラザは地域の不用品活用の場ともなっており、地域住民にとって不可欠な存在となっています。また、季節ごとに多彩なイベントも開催し、県南部からも多くのお客さんが訪れる人気の道の駅となっています。

地域と密着した経営を進める

まにわ日本蜜蜂企業組合

(しも湯原温泉・ひまわり館指定管理者)

 平成元年(1989年)、旧湯原町が下湯原地区で新たに掘削した温泉を、平成10年、日帰り入浴施設に整備し、同時に隣接地に農産物直売所を兼ねた観光物産施設「ひまわり館」もオープンしました。当時は直営でしたが、合併後は市外民間企業が指定管理していました。しかし、地域の力で運営しようと、現在は地元団体が管理運営を行っています。

 しも湯原温泉の特徴は、ペット専門の露天風呂を整備し、近隣にドッグラン施設もあることで、新たな客層の獲得につながっています。さらに有害鳥獣対策で捕獲したニホンジカの2次処理加工を行い、ひまわり館での料理提供や鹿肉販売、またペットフード等への販路拡大を行い、地域と密着した経営を展開しています。

(6)、「まち」を舞台に「ひと」は活躍する

 ここまで真庭らしい「まち」の姿について紹介してきました。しかし、最終目標は「まち」に真庭らしい「ひと」があふれることです。この項では住民が動きだすことにより地域が変わり、そして新たな「ひと」が生まれていった中和地域の活動を紹介します。これから紹介する「薪生産組合とアシタカ」と、次ページから始まる「ひと」の項の冒頭の「なりわい塾」は連続しています。「市役所」「まち」「ひと」が一体となって未来に進んでいる中和の物語をお伝えします。

持続可能な地域づくり

 薪、生産組合と(一社)アシタカ

 平成26年(2014年)、中和地域の活性化を目的に「共存の森ネットワーク」事務局長の吉野奈保子氏が地域再生マネージャー(総務省事業)に委嘱されました。氏は、まず地域のあるもの探しを始めます。そこで着目したのが未利用の森林と津黒高原荘の温泉施設でした。温泉の加熱を灯油から薪に変更出来ないか。しかし設備改修は真庭市でできますが、実行する主役は住民です。

 そのため各戸を訪問し「ひと」探しを始めました。70戸以上のお宅を訪問するうち、意欲のある若者に出会います。彼は薪を加熱ボイラー用に加工する事業を企画し、地域振興を目的とした「一般社団法人アシタカ」を立ち上げました。次の課題は、薪の調達です。若者の思いに共感したおじいちゃんたちが立ち上がります。木を山から切り出す薪生産組合の誕生です。薪の木の伐採、燃料用に加工、薪加熱温泉とつながる域内循環の仕組みが構築されました。

 「市役所」は燃料用ボイラーの改修等を行い「まち」を支援しました。「まち」は新しい経済循環の仕組みを構築し、「ひと」が活躍する舞台となりました。そして「ひと」は、その舞台の上でつながり化学反応を起こします。そこには持続可能な地域づくりがあり、共生社会があります。真庭市が目指す「真庭ライフスタイル」の1つの形がここにあります。

小さな里山資本主義

 薪加熱温泉の仕組みを経済面から見てみると、津黒高原荘は灯油から薪ボイラーへの切り替えで燃料代350万円(年平均推計)が200万円に削減されました。そして、その200万円は石油会社ではなく地元の会社であるアシタカに入り、さらにその半分が薪生産組合へ支払われます。地域内の関係者すべてに利益があり、かつ価格を自分たちで決めるという里山資本主義の考え方がここにあります。そして、この仕組みが市全域ではなく地域限定で成立していることから「小さな里山資本主義」と呼ばれ、もう1つの里山資本主義を体現する好事例となっています。

 しかし、新会社も年収100万円では経営が成り立ちません。そこで次に地元に自生しているクロモジのお茶を製造販売していきます。このように小さな仕事を積み重ねて生きる生き方を学ぶ塾「なりわい塾」を、次項「ひと」の冒頭で紹介します。



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