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印刷ページ表示 大きい文字で印刷 記事番号:0116001 更新日:2026年4月20日更新
市政20年の軌跡 一体感醸成の時代 〜賑わいと安らぎの杜の都を目指して〜

真庭市 市制施行20周年記念誌

市政20年の軌跡
一体感醸成の時代
〜賑わいと安らぎの杜の都を目指して〜

「賑わいと安らぎの杜の都」を目指して

 新生・真庭市は、藤木ひろし・市長職務執行者を経て、平成17年(2005年)4月の選挙で初代市長に井手紘一郎氏と市議会議員40人が決まり、その両輪のもと『創造と改革と融和』を基本理念に、「賑わいと安らぎの杜の都 真庭」の実現を目指して、未来へと船出しました。

 「杜」とは、人々が長年かけて育て上げた森の木々と、田畑の緑を含めた手入れされた風景を指し、「みやこ」は単なる都会と言う意味ではなく、多くの人々が訪れ市民と交流する豊かな市を目指そうという想いが込められています。その「杜の都で営まれる賑わいと安らぎの暮らし」を市民の新たな目標として動き始めた「真庭丸」ですが、一体感の醸成をはじめ、行政改革や産業振興といった合併協議でも議論された課題に直面することになり、その解決が急がれました。

「杜の都」を目指して

 真庭市民最大の共通点は、すべての人が「旭川の民」であるということでした。真庭市にとって最初になさねばならない事業は、旭川と同じくすべての市民に、平等でそして一体感をもたらすものである必要がありました。最初の一歩は情報共有。市民みんなが同じ行政情報や市内のニュースを同時に受けられるようになることでした。そして2歩目は公共交通。市民の足であるバス網を整備し、誰もが市内どこにも等しく行けるようになることでした。3歩目は行政改革。市民サービスのレベルを落とすことなく行政の無駄をなくし、次世代に向かう基盤をつくることでした。

 人々の暮らしが賑わい、そして心安らぐ緑豊かな杜の都づくりの第一歩です。

情報格差をなくし、市民の一体感を醸成

真庭ひかりネットワークの構築

 新市にとって最初の課題は、市民の放送、通信に関する情報格差でした。旧町村時代の行政情報の伝達手段は有線放送、防災告知放送、ケーブルテレビなどまちまちで、放送内容も地域によって格差があり、まずは共通の情報を市民に提供することが必要でした。

 インターネットなどの通信環境も電話線を利用した低速、低容量で、都市部と大きな格差がありました。これらを解決するため真庭市はNTT西日本に自社の光ファイバー網敷設を要望したものの実現せず、独自で市内全域に敷設することを決断。合併後間もなく、格差を埋めるための「ラストワンマイル事業」に着手しました。

 市民への説明を進めながら、平成18年(2006年)10月に光ファイバー敷設工事を開始、平成21年2月、総事業費74億1,802万円を投じた事業を終えました。 

 公募で「真庭ひかりネットワーク」と決まった光回線は総延長が約1,000kmに及び、自治体敷設の光ファイバー網としては日本最大級のものとなりました。この優れた情報インフラを活かして各種サービスが可能となり、市に情報革命をもたらしました。

 その中核になったのが、市独自のケーブルテレビ局(真庭いきいきテレビ)の開設でした。身近な情報を自主放送やデータ放送で市内全域に流し、同一の情報を共有することで市民の一体感醸成に大きく寄与しました。同時に地上波テレビ8チャンネルを一括受信、同時再送信することで、市内に6割近くあった難視聴地域の存在や地上デジタル放送への移行といった諸問題を解決することになりました。

 旧町村ごとに有線や無線などで運営してきた告知放送は、全戸に無償貸与された行政情報端末による共通の音声告知放送に切り替わり、市内無料電話も可能になりました。

 インターネットもNTT西日本が高速大容量通信サービスを提供。都市部と同等の通信環境が整備され、後の企業誘致にも大きく貢献しました。

 また、子育てに関するウェブサイトの開設など、多様な市民サービスが始まりました。

ラストワンマイル事業とは

 大容量の光ファイバーを全市の家庭などに引き込み、情報過疎を総合的に解消しようとする事業。既存の各支局(旧町村役場)や主要公共施設を結ぶ光ファイバー回線から、各家庭まで最後の区間(平均的に1マイル イコール= 1.6km)を整備するという意味で、ラストワンマイルと呼ばれます。

580カ所余で説明会を開催

 真庭市は平成18年(2006年)2月から、ラストワンマイル事業の説明会を市内全域で行いました。このうち加入説明会は30~50戸単位で公会堂などに集まってもらい、市側から事業を進める意義やサービスの概要などを説明。10カ月かけて約500カ所で開催しました。市は担当の部署と支局が一体となって住民に接し、合併後初のあいさつにもなりました。

 説明会は事業所などを加えると、計588カ所、参加者1万150人にのぼりました。

トピックス

真庭いきいきテレビ(MIT)

 旧久世町で放送していたケーブルテレビ「テレビくせ放送協会(KHK)」の経験を生かし、平成21年(2009年)1月、全市をサービスエリアに開局しました。地域のニュースや企画番組、市議会、伝統行事など、さまざまなジャンルの自主制作番組を放送するほか、地上波のNHK2チャンネル、民放6チャンネルとラジオ4局を同時再送信しています。全国に先駆けて導入したデータ放送では、市役所からのお知らせやお悔やみ情報、イベント情報などを常時見ることができます。農村型ケーブルテレビとしては、加入件数で日本最大クラスになります。

 令和7年3月末時点で加入率約74%、加入1万2,775件。自主放送はニュース番組:週150分以上、企画番組:週3番組、生中継:年間12本程度を届けています。

交通弱者の生活を守る

新たな公共交通サービスの整備

 市内では民間のバス会社が幹線ルートを運行し、市民の通院や買い物、通学などに利用されていましたが、合併当初から市が負担する多額な補助金が問題視されたため、新たな公共交通サービスとして、コミュニティバスの導入が決まりました。

 平成19年(2007年)4月、まず民間バス路線のない地域を対象に運行が始まりました。旧町村から引き継いだ高齢者福祉バスをベースとし、へき地患者輸送車などの運行条件を改善したほか、路線の新設・延長などを行い、計24ルートを整備しました。

 愛称は公募で「まにわくん♡」と決定。従来あった年齢制限などの乗車規制をなくし、運賃も1回の乗車で大人(中学生以上)200円、小学生100円、小・中学生の通学と未就学児は無料に統一されました。車両は市所有の小型バスなどを利用。運行は市内のバス、タクシー業者などに委託しました。

 同年10月末、民間バス会社が市内の全11路線を廃止しました。このため代替の7ルートを新設して、通院、通学などの交通手段を守りました。その後も必要性や効率を考慮して新設、変更、再編が行われ、令和7年時点で幹線3ルート、枝線13ルートで運行されています。

簡素で効率的な行政構造へ

行政改革の推進

 行政改革を強力に進めるため平成18年(2006年)4月、「行政改革審議監室」を新設し、全ての業務の洗い出しや調査研究に着手しました。併せて各部の課長らが参画する「行政改革推進委員会」を設置して、同年11月、「行政改革大綱」と「実施計画」を策定。改革推進に取り組みました。

 主な改革は次のとおりです。

(1)、本庁舎は分散型から統一型へ、支局は住民サービスの維持を堅持

 市役所本庁舎については、急激な施設再編は市民の不安を招く恐れがあることから、当初は本庁機能を勝山・久世・落合に分散していましたが、平成23年に合併協議のとおり久世に本庁舎を一本化しました。これにより特に管理部門が統合され、行政の効率化が図られることとなりました。

 蒜山地域については平成19年に蒜山振興局がやつかに建設され、これに伴い中和・川上の両支局が閉庁し、両庁舎は出張所に移行しました。

 他の支局についても、設置目的を地域振興に特化し、さらに地域住民の利便性向上の観点から公共施設の集約化を進めました。

(2)、公共施設の見直し

 公共施設の統廃合については、すでに目的を達している施設の廃止を進め、また、旧町村が各地域に置いたコミュニティハウスや老人いこいの家など33施設を地元の管理団体に無償譲渡しました。

(3)、公共施設の管理運営

 民間活力の活用を視野に入れ、公共施設の指定管理者制度を平成18年度から導入し、令和7年4月時点で78施設が指定管理者による運営に移行しました。この流れの中で公共施設の指定管理に取り組む第3セクターも経営の観点からの組織改革が進みました。

(4)、市役所の組織改革

 公共施設の削減を進めると同時進行で、スリムで効率的な行政組織とするため、毎年のように機構改革を行い、市発足時の21部局71課が、8年目の平成24年には20部局41課となりました。この間、職員数も合併前の893人から763人(病院を除く)に減少しました。しかし市民サービスの低下を招かないことに配慮し、特に保健師等の住民に直接接する専門職員、安全安心を担保する消防職員等の削減は行わず、市民に大きな混乱を招くことなく、改革を進めることができました。

「賑わい」を目指して

 合併の大きな目的の1つに産業振興がありました。

 商工業については、平成14年(2002年)に久世と落合にまたがる地区に産業団地が完成しており、企業誘致による産業の活性化と雇用の増に伴う消費拡大に期待が寄せられました。しかし、林業は平成16年の台風23号により約1,600ヘクタールが風倒木等の災害を受け、復旧からのスタートとなりました。観光業も観光地である北部地域は堅調でしたが、この恩恵を市内全域に広げる次の展開が求められていました。また、農業は米作を効率的に進める農業法人化が比較的平地の多い南部地域では進みつつありましたが、中山間地域の小規模農家への新たな支援策が求められていました。

 旧町村ごとの「賑わい」から、市内全域が恩恵をうける「賑わい」を求めての新たな挑戦が始まります。

バイオマス利活用に挑戦する

バイオマスタウン構想の推進

 真庭市は森林面積が80%を占め、その60%が人工林。主にヒノキが植林されています。

 市内には素材生産業者(約20社)、原木市場(3カ所)、製材所(約30社)、製品市場(1カ所)が集積。生産から製品化まで一貫した体制が整い、木材産地として西日本有数の規模を誇ります。しかし最大の基幹産業でありながら、安い輸入材などに押され、長く構造不況に陥っていました。

 平成5年(1993年)、地域の将来に不安感を持った若手経営者たちが勉強会「21世紀の真庭塾」を立ち上げました。そこでの議論から生まれたのが、豊富な木質資源等を生かした持続可能な循環型産業の創出でした。関係者によって、木質コンクリートの開発や木くず等によるバイオマス発電など、木質バイオマスを活用したさまざまな活動が展開され、成果を上げていきました。

 こうした中で、新生・真庭市が地域活性化の起爆剤として掲げたのが「バイオマスタウン真庭構想」です。民間主導の木質バイオマス関連事業に連携して、新しい産業の創出や環境にやさしい循環型社会の形成を目指すものでした。

 平成18年4月、国から「バイオマスタウン」と認定され、官民一体となった事業推進に弾みが付きました。

 真庭市は、民間で生産されるペレットなどの木質バイオマス燃料の利用促進に乗り出し、市庁舎や学校、福祉センター、温水プールなどに専用のバイオマスボイラーやストーブを積極的に導入。同時に、政府機関の受託事業としてバイオマス資源の収集運搬、集積、利用システムなどの課題を実証し、データを分析することで、地域内エネルギー循環の基盤づくりを進めました。

 この動きの中で平成21年4月、全国初となる「真庭バイオマス集積基地」が完成し、稼働を始めました。これにより、これまで放置されていた林地残材や樹皮などの安定調達と、チップ化・粉砕処理してパルプ等の原料として安定供給することが可能となり、未利用バイオマスの利活用が大きく前進しました。

 平成24年7月、バイオマス発電の事業化が協議され、翌年2月、市を含めた9団体で「真庭バイオマス発電株式会社」を設立、2年後の稼働を目指し、発電事業が本格的に動き出しました。

 一方で、エネルギー利用だけでなく、木質バイオマスから化学品や新素材、燃料などを生産するバイオマスリファイナリー事業にも着手。産学官連携で木質資源を余すところなく活用するための検討が始まりました。

湯原温泉ではエコディーゼル燃料を利用

 湯原町旅館協同組合は地元企業と連携し、平成17年(2005年)から地域の家庭や旅館・ホテルから回収した使用済みの天ぷら油を軽油の代替燃料BDF(バイオディーゼル燃料)に精製する事業を開始。平成21年4月から、温泉街に設置した給油ステーションで旅館の送迎車などに供給し、「エコディーゼル燃料(EDF)」と呼んで、人と環境に優しい温泉をアピールしています。

観光資源をぐるり巡る

「観光回廊真庭」の展開

 真庭市は、蒜山高原、湯原温泉など県内有数の観光資源に恵まれていますが、通過型観光の衰退など観光に対するニーズが大きく様変わりする中、合併前2年間の入込客は年間300万人台で減少傾向にありました。

 合併後、新たに発足した観光連盟と真庭市は、市内に点在する観光資源をぐるりと巡って楽しめるまち「観光回廊真庭」を創り上げることを目標に、「海のいち・山のいち」をはじめ、「露天風呂の日」「勝山のお雛まつり」「北房ぶりいち」などの集客イベントをより一層充実させていきました。

 同時に真庭市は、新たな施策として産業と観光を融合した「バイオマス

ツアー真庭」を平成18年(2006年)にスタートさせました。当時、バイオマス利活用の取組が全国的に注目を集め、市役所や関連施設に視察者が相次いでいました。そこで産業を観光資源とみなし、受入窓口の一本化と、施設見学だけでなく循環型社会を構築しつつある地域そのものを見ていただく、新たな仕組みを構築しました。

 ツアー参加者は6年後に1万人、10年後の平成28年度に2万人を突破。食事や宿泊、お土産などで地元への経済効果があったうえ、真庭市の認知度アップに貢献しました。

 「バイオマスツアー真庭」は、新エネルギーの普及・啓発に寄与したと評価され、平成22年、「新エネ大賞」の最高賞「経済産業大臣賞」を受賞しています。

小規模農家を“直売名人”に

真庭あぐりネットワークの形成

 広大な真庭市では水稲を主に、南部ではナシやブドウ、大豆など、中部では青大豆、やまのいも銀しぶきなど、北部では酪農製品やキャベツ、大根、花卉など地域の特性を生かした多様な農畜産物が生産されてきました。

 平成18年(2006年)の農業産出額は82億1,000万円で、県内有数の農業地域でした。一方で農家数、耕地面積、産出額の減少や高齢化が年々進み、農業を持続的に維持・拡大していくのは困難な状況にありました。

 こうした中、真庭市は約8割を占める小規模農家の生産・販売意欲を向上させ、所得増加を図ろうと、平成21年、農産物直売所へ出荷するための「ふる里あぐり支援事業」に乗り出し、農協と共同で「まにわ園芸相談員」を配置し、栽培や販売の指導、助言を始めました。

 続いて平成23年5月、官民協働の「真庭あぐりネットワーク推進協議会」を設立。市内7直売所のPOS(販売時点情報管理)システムの統一や、どこの直売所にも出荷できるトラック周回システムの構築に着手しました。

 また、市外での販売は、同年9月から大阪・高槻市に「真庭いちば」を開店。新鮮さと安全が評価され、平成27年度には年間売り上げ額が約1億5,000万円を上回りました。

 一方で市内7直売所の売り上げは、同年度に約6億円でした。平成28年、市内の関係者が共同で設立した株式会社オール真庭が「真庭いちば」等の運営を引き継ぎ、令和元年、「真庭いちば」は2号店を滋賀県守山市に出店しました。

 令和5年度の市内外9店を合わせた売上総額は約10億円に達し、令和7年12月時点で、登録者数は2,775人になっています。

「安らぎ」を目指して

 合併前の住民最大の不安は暮らしの変化でした。特に高齢者の多い周辺地域では、行政改革により地域支援が打ち切られ見捨てられた地域となるのではないかとの思い、さらには少子化の波が急速に押し寄せており、地域自体が消滅するのではないかとの懸念もあり、諦めに似た思いを持つ人もいました。

 この時期には、そのような漠然とした不安を払拭するため、地域コミュニティを維持し住民が心安らかに暮らすための施策を推進、さらには真庭市を未来につなぐため子育てを市全体で支援する取組が進められていきます。

地域のコミュニティを守る

地域を支える団体を育成

 合併による地域格差の増大、また人口減少による地域活動の低下が心配される中、真庭市は合併直後から市民の不安払拭のための地域コミュニティ支援に乗り出しました。

 平成17年度(2005年度)に、1戸あたり3,000円を補助する「地域組織育成補助金」を新設。運動会、夏祭り、環境美化活動など市民同士の交流事業を推奨しました。

 一方で、既存の自治会の枠を超えた新しい「地域自主組織」づくりを推進。平成20年度からは、「魅力ある地域づくり事業補助金」を創設し、地域自主組織が取り組む地域コミュニティの再生、活性化を支援しました。

 地域自主組織は令和6年度までに124組織が結成され、従来からあった伝統行事やスポーツ、文化などの地域イベントを継続して実施。地域の安心感や一体感を保つ役割を果たしました。

安全安心を担う

消防団を統合、再編成

 平成19年(2007年)、旧町村ごとにあった9つの消防団は1つの真庭市消防団に統合されました。発足時の団員は2,746人。旧消防団の所轄区域ごとに方面隊として再編成され、活動服、法被、団旗、方面隊旗などが統一・新調されました。

 消防団活動は火災や災害時の対応だけに限りません。「安全・安心なまちづくり」を使命に、独居高齢者世帯の訪問や周辺の雪かき、住民への防火指導をはじめ、地域コミュニティを支える広範な活動を引き続き担っています。

安心して生み育てるために

子育て支援の充実を進める

 真庭市では、合併当時の15歳未満の人口が6,669人。10年前の平成7年(1995年)当時(9町村合計)と比べると2,412人減少し、急速な少子化に直面していました。そのため安心して子どもを生み育てることができる環境を整備することが切迫した課題でした。

 平成17年10月、乳幼児医療費無償化を就学前から一気に小学校卒業までに拡大。4年後、中学校卒業まで引き上げました。

 このほか、妊婦健診(14回分)の無償化や不妊症、不育症の治療費助成など、きめ細かい支援で経済的な負担軽減に努めました。

 変化する就学前の教育・保育ニーズに対しては、幼稚園と保育園の機能を併せ持つ認定こども園の県内第1号となる「落合こども園」を平成19年4月に開園。集団・異年齢活動の場を確保するとともに、一時預かりや育児相談なども担うことになりました(その後各地で順次開園)。

 また、乳幼児を持つ親子が相談・交流する「つどいの広場」や、小学生を対象とした「放課後児童クラブ」などの活動を支援したほか、市の保健師、栄養士が各地域に出向き、地域の愛育委員、栄養委員と協力して育児の応援に努めました。

 平成21年3月には子育てに関する情報を集めたウエブサイト「真庭こどもICT(愛して)ネットワーク」を開設。妊娠、出産、就学などに関する行政サービスや各学校情報など、さまざまな情報の発信を始めました。

トップレベルの出生率

 子育て環境を考える上で物差しの1つとされるのが合計特殊出生率です。1人の女性が一生に産む子どもの平均数を示し、真庭市は平成18年(2006年)から8年間、1.8前後で推移。これは全国(1.3前後)岡山県(1.4前後)より高く、県内15市ではトップレベルでした。

 その後も全国・県より高い数字を維持しましたが、少子化の進行に歯止めをかけるには至っていません。

インタビュー

いで こういちろう初代真庭市長

「一番心を砕いたのは、市民の融和。今も一体感があり、これは真庭市の誇りです」

 まず、市長になる以前のお話をお聞かせください。

 高校の教員を19年間やりました。そのほとんどが勝山高校、落合高校勤務でした。ですから市内は教え子でいっぱい。私の最大の財産です。

  

真庭の人のために役立ちたい

 ─高校教員を退職して、県議会議員に立候補された訳ですね。政治を志された理由をお聞かせく  ださい。

 よく聞かれる質問なのですが一言では難しいですね。曾祖父の井手もうぞうが明治時代に衆議院議員をしていたことも政治を身近に感じた一因かもしれませんが、教え子を含めて真庭の人のためにもっと何かできないかと素朴に思ったことが第一歩だったかなと思います。

 6期22年にわたる県議会議員時代の思い出をお聞かせください。

 昭和60年頃でしたか、岡山県の県北流通団地(現在の産業団地)誘致は大変でした。当時、複数の自治体が名乗りを上げていました。なんとか真庭郡に誘致したいとの強い思いがあり努力しました。最終的に現在地に決まった時はうれしかったですね。市長時代も県の東京・大阪事務所に市職員を派遣し、産業団地への企業誘致に力を入れました。現在、産業団地がほぼ満杯になったのは万感の思いです。

  

津山市と並ぶ県北の拠点をつくる

 県議会議員在任中に真庭市の初代市長を目指したのは何故ですか。

 平成10年頃、全国で市町村合併の話が出始めました。その中で、真庭郡を1つにまとめてしをつくろうと言い出したのは私です。青年会議所あたりでは、昭和時代に勝山・落合・久世町で真庭市をつくろうという運動はありましたが、まだ真庭郡全域で真庭市をつくろうという話はなく「県議が妙なことを言い出した」というのが周囲の反応でした。でも、旭川流域に広がる、それぞれに個性を持った町村がまとまれば大きな力となり、津山市と並ぶ県北の拠点になるという期待がありました。そうした思いを持っていたので、私がやろうと立候補しました。

 市長就任時に掲げられた「賑わいと安らぎの杜  の都 真庭」というキャッチフレーズに込めた思いは何ですか。

 「賑わい」は、基幹産業である農林業をはじめ、中小企業、観光などの振興、産業団地などを通じて、人や物、情報が集まる活力に満ちた経済拠点をつくること。「安らぎ」は、地域福祉の充実や防災体制の整備などで、安全安心なまちづくりを進めることで、お年寄りの健康と生きがい、子育て支援を大切にしたいと思っていました。

 この「賑わい」と「安らぎ」が共存する「杜の都 真庭」をつくっていくというのが、私の考えでした。「杜の都」の「杜」は、まさに真庭市を象徴している言葉です。広大な森林と旭川流域を含めた緑豊かな環境が「杜」であり、「みやこ」は、人が集まる場所、というイメージです。

 初代市長に就任して、一番心を砕かれたのは何ですか。

 9町村が1つになり、同じ屋根の下に住むことになったわけです。でも屋根だけ共通化しても、家族の融和がないところに幸せはありません。ですから1日も早く住民の一体感やふるさと感が醸成できるように、また、地域間格差が是正されるように気を配ったつもりです。すべての市民が真庭市をふるさとと感じられなければ合併の意味がないと思っていました。

 元職員の、方から聞いたのですが、市長室での職員協議の後半に入ると、「で、どうする」とよく言われたとお聞きしました。

 (笑い)覚えていないですね。ただ真庭市ができて最初に感じたのは、職員の価値観とか意思決定の仕組みが町村ごとに違うということでした。まず職員にしゃべらせようと思いました。私は黙って聞いていて意見が出尽くした時点で「こうしよう」と判断していました。

 ─就任当時、市の借金残高(起債総額を含む)は  699億円。県内14市で2番目ぐらいの悪い数字  でした。どう対処されましたか。

 極めて厳しい状況でした。さらに主要な財源である地方交付税が人口減少で大幅な減額になることが予想されましたから、思い切った行財政改革を断行するしかありませんでした。職員定数の削減、公共施設の集約化、事務の合理化等でできるだけ支出を押さえました。また、合併市町村には合併特例債という有利な起債が借りられましたが、所詮借金です。全国には合併特例債をあてに多くの公共事業を行い、後で財政破綻を招くという自治体の例も見受けられました。できるだけ借金せず、自主財源を中心の財政運営を心掛けました。好転した今の財政状況をみると、隔世の感がします。

 「杜の公聴会」や「市政懇談会」をたびたび開かれ、市民と意見交換をされていますね。

 県議時代から、よく地域を回り、話を聞いてきました。そうした皆様との繋がりに育てられたという思いがあるので、市民と会って意見交換することは普通のことでした。地域の人がよく知恵をだし、協力しあって活力を出してくださったと思います。

 車の両輪に例えられる市議会では丁寧に答弁をされていましたね。

 新しい市政には手本がないわけですから、議員と協力し合って前へ進めるという思いでした。特に議員さん1期目は旧町村ごとの小選挙区からの選出だったので、地域の代表であり市全体の代表でもあるという2つの立場をもっておられたので大変だったと思います。一般質問の日は早朝から自宅で想定問答を繰り返し、丁寧に対応したつもりです。9町村をまとめて1つの行政単位にするのは議員にとっても大変なことでした。お互い、いい繋がりで仕事ができたと思っています。

 花開けど、風雨多し

 2期、8年間を振り返っての感想をお話しください。

 退任時の心境は「花開けど風雨多し」でした。道半ばの面もありましたが、いろいろな事業を達成することができ、職責は果たせたと思っています。退任して時間が経った今も、人心がまとまり、市内に一体感が感じられる。これは、どこに出しても恥ずかしくない。真庭市の誇りだと思います。ありがたいことです。

 ─今後の真庭市に期待することをお話しください。

 誰かに頼むのではなく、自ら創るという意識を持って、行政、市民が一体となり、まとまりのある真庭市をつくってほしい。それが活力になり、発展の原動力になります。そうなることを心から期待します。



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