講師:渋澤寿一
(バイオマス利活用計画策定委員会委員長、樹木・環境ネットワーク協会専務理事) |
1)はじめに
思い返してみると、今からかれこれ6年ほど前に、当時の日本開発銀行の石神(隆・法政大学教授)さんに、とにかく御前酒というおいしい酒があるから1回飲みに来いと誘われてひょこひょこやって来て、せっかく来たのだから何か話せよということで真庭塾で講演をしたのがスタートでした。あれから皆さんに遊んでいただいて感謝にたえません。
今日はこれからのセクションで、パネルディスカッションがあります。そのパネルディスカッションで、地域とバイオマスに一体どういう接点があるのか、あるいはどういう形で広げていけるのか。今までは真庭塾の中、あるいは特定の企業や特定の活動の中だけで行われてきたものが地域の中にどうやって入り込むのかというお話をいろいろな地域の方から伺って、それをまとめていく。それがこの会の本題です。
その前にイントロとして、では今どういう状況なのか。もっと分かりやすくいうと、今、発表してくれた子どもたちの時代に真庭をどういう形で残せるのか。そのときに日本はどうなっているのか、地球はどうなっているのか。その概論をお話ししたいと思います。 |
| 渋澤寿一氏のプロフィール |
(特)樹木・環境ネットワーク協会専務理事
東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士
海外援助協力に赴いた後、長崎ハウステンボスを立ち上げ、企画から経営までにたずさわる。現在は、樹木・環境ネットワーク協会の専務理事として活躍。最近は、「森の”聞き書き甲子園”」を通して、高校生の教育に携わっている。 |
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2)地球温暖化問題とは
地球温暖化といろいろなところで聞くけれども、一体どういうことなのか。
実は昨年の秋口に、今、世界トップのメーカーになっているトヨタ自動車のあるセクションから、「温暖化、温暖化といろいろなところでいろいろな先生方がいろいろな話をするけれども、つまるところ、どこまで行くと本当にやばいのだ」と聞かれました。たぶんトヨタの方は今さら聞きにくかったのだと思うのです。それで私のようなNPOのところに話が来たのでしょう。私もちょうどいいからと、いろいろ文献を読んだり、いろいろな方にお話を伺いました。
そこで気づいたことは、皆さん、地球温暖化は大変だと言っているのですが、専門によって全く違うということです。地球温暖化ということでマスコミでも一番取り上げられるのは、地球物理学あるいは気象学をやっている方々の話です。2℃とか3℃の温暖化が、人類が生存できる限界ではないか。基本的には3℃と言っている方が多いのですが、今から3℃上がるとグリーンランドの氷河の氷が一斉に大西洋に流れ出して、南極大陸の氷が一斉に南氷洋に流れ出して、海流が全く変わってしまい、それによって気候が急激に変化をする。海流は地球の中の気候を全部混ぜてある程度安定にしてくれているわけですが、そういった形で海流の流れが変わると、局地的に干ばつになったり、局地的に大雨になったり、あるいは洪水が起きたりと、非常にやばい。2℃か3℃上がるのは100年後位だというのが、多くの学者の意見です。
ちょっと待てよと言っているのが、生物をやっている方々、主に農学です。1℃上がると相当やばいと言っています。1℃上がると、大豆の収量が約20%減少し、稲の収量が約10%減少し、小麦の収量が約20%減少するといわれています。つまり植物は花粉が非常にデリケートです。花粉がめしべに付いて受粉をして、皆さんが食べているお米にしてもパンにしてもできてくるわけです。その植物の生殖のメカニズムが狂い出すのが、ほぼ1℃であるということです。 |
皆が基準を考えようという時代からもう既に0.6℃か0.7℃上がっているのだから、1℃はそんなに遠くはない。なおかつ、そこで植物が実らなくなって農業の生産量が急激に落ちてくると、今、人口が大変増えているので、そこで暮らせなくなって大パニックになる。あるいは1℃上がっても、水が局在的に多く降ったり、急に足りなくなる。足りなくなるところがはるかに多いのですが、それによって今度は水を取る争いになってしまう。自然現象で海流がおかしくなって大雨が降り人類が水没するというノアの箱舟みたいな形の滅亡ではなくて、人類同士が喧嘩をすることによって滅亡すると、農学者たちは言っています。
それよりもっとシビアなのは、海洋生物学者たちです。サンゴは、海水の温度が0.1℃か0.2℃上がるだけで死滅するだろうと言っています。サンゴは海の中でCO2を固定しているので、サンゴが死滅し出すと海がCO2を放出するようになってくる。そうなってくると、CO2の濃度は急激に上がって温暖化が急激に進むことになって、地球物理学者が100年後と言っているのは、実はあと20年後、あるいは10年後。ひょっとするとあと3年か4年ぐらいで、今まで海がCO2を吸収していたのが排出するようになるかもしれないと言っている人すらいます。 |
それぐらい地球温暖化はせっぱつまったところに来ています。私たちは地球物理学者の話ばかりを聞いていたのでまだ先の話だと思っていましたが、結構皆さんが警鐘を鳴らしていることがよく分かりました。
では、なぜこんな温暖化になったのか。実は温暖化になった転機は40年ほど前です。40年前というのは、東京オリンピックが行われた頃のことです。昨年、『ALWAYS
三丁目の夕日』という日本映画が大ヒットしました。ちょうど東京タワーが建ち、各家にテレビや冷蔵庫が入り、東京オリンピックを迎えてという、当時の東京の下町の生活が非常に活気があったことを描写した映画です。今、思い起こしても、あの時代は全員が活気を持って生きていました。そして地方の農地に耕耘機(テイラー)が入ってきた時代です。刈り払い機(バインダー)が普及し始めた時代です。山にはチェーンソーが入ってきた時代です。今から50年前から10年間程の間にそれらが皆重なって入ってきて、日本人の生活が一斉に変わっています。 |
| 今から40年前の地球の人口は25億位です。今は64億と言われていますから、僅か40年間で40億増えたわけです。国連の統計によれば、2050年には90億から110億ぐらいになるといわれています。人口もこの40年間で急激に増えてきました。先ほど出てきた子どもたちが、あと40年経つと社会を担ぐ時代になります。そのときには地球の状態は今と相当変わっています。地球環境問題は向こう側の話だ、あるいは学者たちの戯言(たわごと)だと思っていたことが、あっという間に現実になってきたということです。 |
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3)なぜバイオマスが注目されているのか
その原因は何か。40年前から何が変わったか。それは石油を使うようになった時代ということです。例えば今日は、照明が使われて空調が入った部屋でパワーポイントを見てバイオマスの話をするという、ある意味では非常に矛盾したことをやっているわけです。そういうことができるのは、安価な石油を必要な量だけ使えるようになったからであり、その中で人類が得た影響は非常に大きかったのです。化学肥料ができて農薬ができて、農作物の単位収量が上がりました。昔は漁師が網を一生懸命に手で上げていたのが、今はクリンチで上げていくので、漁獲量も膨大に増えてきました。それからいろいろな薬も作られました。何と言っても暖房やエネルギーにそれを転換していき、いろいろな素材もそこから作られてきました。 |
つまり私たちの40年間の生活と繁栄は、ある意味では化石燃料を自由に使えたということです。化石燃料を自由に使えたことの裏返しにあるのは、お金を中心とした世の中に変わったということだと思います。
バイオマスの話でなぜそういう話をするかというと、今の子どもたちのことを絶えず考えるからです。この子どもたちは非常に恵まれた子どもたちだと思います。私はタウンミーティングで付き合わせてもらいましたが、みんな本当によく自然のことを知っているし、自然の中で遊んだ経験を持っています。では真庭市の子どもたちが全員こういう子どもたちかといえば、必ずしもそうは言えないと思います。まして都市部の子どもたちはそうです。私の子どもたちですら、買ったものしか口に入れた経験を持っていません。自分が山で取ったものや川で釣った魚を食べた経験を、今の子どもたちはほとんど持っていません。 |
| 海外の資源に頼る時代になったときに、私たちの生活は、基本的には他の命と向き合っていた生活からお金と向き合わざるを得ない生活になったと思います。私の子どもたちに「将来、何になりたい?」と聞くと「お金持ちなりたい」と言いますが、決してお金持ちになって贅沢をしたいのではないのです。お金がないと自分が生きていく上で安心できないからお金持ちになりたいと、彼らは言うわけです。ホリエモンがお金があれば何でもできると思ったのは、決して彼が特別なわけではなくて、おそらく彼の世代の多くの人たちは、お金がないと自分は生きてもいけないし、好きな仕事もできないし、好きな人とも結婚できないと、たぶん本気で思っているのだと思います。 |
では40年前、チェーンソーが入る前は一体どうだったのか。40年前、刈り払い機が入る前、あるいはコンバインが入る前の農業はどうだったのか、暮らしはどうだったのか。そこまで返ってみて、それから40年後の時代をもう1回積み直してデザインをし直して、そして彼らが安心して生きることができる時代にしてやりたいというのが、バイオマス事業を進めている本当の思いです。
石油という資源も元々はバイオマスです。地球上の微生物の死骸や植物の死骸が、地下で何千万年とかけて変化をしたものが、石油や石炭という地下資源です。ただ、石油があとどのぐらい残っているのでしょうか。この地球上には、富士山をひしゃくにして0.8杯分しか残っていません。これは予想埋蔵量も含めてです。それ以外のものもたぶん出てくるでしょうが、ほぼ1杯分しか残っていないということです。最初はどのぐらいあったのかというと、そもそも2杯分ぐらいしかなかったのです。この40年間で1杯をほとんど使い終わりました。25億から65億に人間が増えたことによって、石油を半分使い切りました。今度は65億が100億になるわけです。あと40年、資源がもつということには疑問符がつきます。価格が上昇していきますので資源はなくなりませんが、今までのように自由に使える資源ではなくなってきます。そのときに一体どうするのか。「いや、大丈夫だ。車は燃料電池で動くようになる」「トヨタはそれを開発したようだ」「ホンダはもう車を走らせているぞ」。それで本当に解決するのだろうか。 |
要するにこの40年で変わったのは、資源がなくなったことだけではありません。私たちが便利な生活を享受した向こう側にあるのは、欲望を抑えるということをなくしてしまったことだといえます。テレビのチャンネルをつければ、朝から晩までコマーシャルが写りますが、その中には明日自分が生きていくのに必要なものはほとんどないと思います。すべて今のものよりこちらのほうがいいかな、あるいはこんな便利なものができたらいいなという程度のものです。インターネットの時代、ITの時代といわれて、コンピュータを開いて例えばアルゼンチンのどこかのサイトにアクセスすると、そこでしか買えないものがあり、それをクリックするだけで1週間後に自分の手元に届く時代です。私たちの欲望を満足させていく時間が早くなったのが、IT社会の実態です。私たちはこうやって欲望を広げて生きてきました。
自由貿易協定という言葉は大変いいのですが、全部をお金で換算していくということです。お金で自分の生存も自分の欲望も買っていくことが大きくなっていくと、これからどんなにテクノロジーが発展してきても、人間はそれを抑えることはできません。持続可能な社会が続くこともできないのです。 |
ではもう人間はおしまいなのでしょうか。気温があと3℃上がったらもう駄目だといわれるし、なおかつ人間は欲望を抑えられません。これでは人間は滅亡に向かっているのでしょうか。
けれども考えてみると、実はバイオマスは新しく出てきた概念ではありません。それぞれの地区ごとに昔の地区の暮らしがあります。昔の暮らしでは、燃料は裏の里山から切ってきました。これはバイオマスなのです。バイオマスというのはエネルギーだけではなくて、素材としてもバイオマスです。だからバイオマスのマテリアル利用もあるし、バイオマスのエネルギー利用もあります。食料は全部バイオマスです。それから昔の日本人は、それほど多くの衣類を持っていませんでした。少なくとも100年前の明治維新の頃、綿は高級品で、日本人のほとんどの衣服は、麻系統あるいは苧麻(からむし)、赤麻(あかそ)、青麻(あおそ)という山に生えている刺草(いらくさ)の仲間から繊維を取って、それを各家で機(はた)を織ってつくっていたわけです。基本的には生物が与えてくれたものです。住んでいる住宅も山で切ってきたものの材であるし、器もそうです。燃料も山から切ってきたものです。畑にまく肥料も、いろりの灰であったり、青草を堆肥にしたり、刈り敷きという若芽のついたものをすき込んでいって肥料にしていました。衣食住、生活のほとんどを山に頼ってきたのが日本人の暮らしです。 |
| 山に頼ってきた暮らしがつくってきたものは、自分はこの地域の自然の中で生かされてきたのだという思いです。当然そうなのです。薪を取りすぎたら木は枯れてしまいます。山の材を切りすぎたら、木は生えてくるのに100年かかります。魚を取りすぎたら魚はいなくなります。だから自分が自給するのではなくて自分が自足をする。何をもって足ると考えるのか。つまり欲望をどうやって抑えるのか。それは自分がここに生かされていると思うことしかないのです。この地域の自然に生かされているという思いで生きることによって、はじめてその中でバランスを取り節度を持って生きてきたのです。それが鎮守の森を中心とした日本固有の文化になってきました。 |
私が10年ほど前からフィールドとして通っている、秋田県の小さな集落があります。雄物川という大河の支流の岩見川の最上流部にある70戸の集落で、250人位が住んでいます。周りは全部山です。谷を抜けていかないと、その集落に入ることはできません。家々とそれを取り巻く田んぼと、後ろに山があります。
なぜこの集落に通うようになったのかというと、ここには江戸時代からの古文書が残されているのですが、1人の餓死者の記録もないのです。山の奥でそこから上には人里がないという最上流の集落で、なぜ天保の大飢饉や天明の大飢饉のときに餓死者が出なかったのか、それが最初の疑問でした。
入っていってすぐに、彼らは畑や田んぼにほとんど依存していなかったことが分かりました。例えば彼ら共有の栗山が70町歩あります。1カ所にはまとまってはいないのですが、その栗山で取れる栗の量を換算してみました。栗は、なる年とならない年があります。表と裏があります。表と裏を平準化して1年にどのぐらいの栗が取れて、それがどのぐらいのカロリーになるのかを計算し、それを250人で割り、365日で割ります。出てきた数字は2,000kcalでした。2,000kcalは、見事に日本人の基礎代謝量です。つまり1日2,000kcalあったら、他のものを食べなくても生きていけるカロリー量なのです。 |
青森県の三内円山遺跡からも、同じような栗林が出ています。それをDNA鑑定したら、ほとんど揃っているのです。DNAが揃っているということは、どの栗が沢山なるのかを三内円山遺跡の人たちは分かっていて、「沢山なる木」だけを残して、あるいは「沢山なる木の子孫」だけを残して栗林を管理していたということです。食料は山から取っていて、米が一粒も取れなくても暮らしていけるというシステムを、日本人はすでに縄文時代に確立していたのです。
また、私が入る秋田の集落には33カ所の共有林があります。これは栗ではなくて、ミズナラの木です。それを1年に1カ所ずつ切っていきます。その切ったものが、その翌々年、つまり2年後の集落の燃料になります。1年間、薪を積んで乾燥させるわけです。2回目の雪が降った次の日曜日に、村の人たちが総出で山に入ります。そして木を切って、ソリで下に降ろします。なぜ33カ所かというと、1年に1つずつ切っていくためです。スギやヒノキは上を切ると地株は枯れてしまいますが、ナラやクヌギやブナなどの広葉樹は切っても横から枝根(萌芽)が出てきます。その萌芽を残して、33年経って34年目に最初の森に戻ると同じ太さに戻っています。そうやって持続的に燃料を利用してきました。
これはその集落が特別ではなくて、日本中のあらゆる集落で見られます。この辺は、たぶん20年だと思います。南に行けば行くほど、年数は短くなってきます。北へ行くと長くなって、私が今行っている山形県の飯豊連峰の下の森では40年で回しています。地区によって年数は違うのですが、そうやって持続的に燃料を得ていました。食料も山から持続的に得ていました。日本は森の文化だ、日本人は森の人だと言われるのは、基本的に森の生産力に依存してきたからであって、それが日本人固有の文化なのだと思います。
新潟県の三面(みおもて)川という、鮭が上ってくる集落があります。そこにも長く通っていますが、3万年前の旧石器時代の遺跡が出てきます。それから2万年から1万5000年前ぐらいの間の縄文の草創期から中期、晩期、そして弥生、古墳時代の遺跡が集積しています。 |
| 私は、3万年間、生活が続いていたのだから、森が豊かだったのだなと気楽に思っていました。あるときヨーロッパの友人と話をしていると、そんなことは世界中で考えられないという話になったのです。それはなぜかというと、3万年前のヨーロッパは氷河期です。氷河に覆われていて森はないのです。では日本はなぜ氷河が発達しなかったのでしょうか。それは日本海があるからです。今、日本海は大量の水蒸気を上げて雪を降らせています。ところが氷河期になって気温が下がって氷河が発達してくると、海面は下がっていきます。海面が下がると、日本の場合は一番最初に対馬海峡が閉じるのです。対馬海峡が閉じるので、南から暖かい対馬海流、要するに黒潮の分流が入ってこなくなります。そうすると日本海の温度は急激に下がっていって、急激に蒸散量が少なくなります。それによって氷河が発達しない。そして氷河期が終わって暖かくなると、今度は多量の水が出て山に多量の雪が降ります。要するに世界有数の豪雪地帯といいますが、本当に世界有数の豪雪地帯なのです。例えばバルト三国は違うだろうという話をしますが、サーメとかアラスカのエスキモーにしても、彼らは氷の文化であって、雪の文化ではないのです。 |
雪が降るということは水が降るということです。その多量の水が森をつくってきたのです。そして氷河が発達しなかったために、日本の森に植物が集まってきたわけです。例えばヨーロッパの森を歩くとき、5種類ぐらいの木の名前を知っていれば、どの森へ行っても、あそこがどういう構成の森かということが大体分かります。ところが日本では、100種類の植物の名前を知っていても、100種類では、この裏山に入っても自分の知らない名前の木のほうが多いでしょう。それぐらい、たくさんの種類がある森によって日本はつくられてきています。しかも、森の中の木はどれだけ取りすぎてはいけないのか、どれだけをどうやって利用することによって自分たちが生きていけるかという知恵と知識も、日本人は長い年月をかけて延々と集積してきました。それがまさに日本文化なのだと思います。
木造建築の文化も、例えば合掌集落と縦穴住戸の差はほとんどないと思います。合掌と今の在来工法の家との差はそれほどないと思います。それはなぜかというと、遅れているということではなくて、要するに知恵が集積しているからです。どうやったら強くなるか、どの方向からかかる力に対して強くしなければいけないか。今のように雪がたくさん降って屋根にものすごい重さがかかったとき、どうやってその力を逃がすかという知恵は、すでに縄文の縦穴住居の中でいくらでも見ることができます。 |
そのように何万年もかけて蓄えてきたもの、そして自然の中で生かされてきた暮らし。それがまさに今日お話しするバイオマスの話です。だから何も新しいことをやろうと言っているのではありません。ただ、明日から縄文時代に戻れという話でもありません。40年前を思い出すと、田植えをみんなでやっていた時代は大変でした。チェーンソーではなくてノコギリで切っていた時期は、1日に1本しか切れませんでした。けれども木こりたちは木目に当たる刃の抵抗感で、この年は雨が多かったとか、この年は台風がいくつ来たというのが分かっていました。それぐらい自然をよく知らないと自然の中では暮らしていけない時代が、ついこの間まで日本では続いていました。
この40年間が異常なのです。異常ですが、それを戻せということもできません。そのときに、はじめてテクノロジーの出番になってきます。例えば木質をチップにしたりペレットにしたり、あるいは家畜から出た排出物をガス化したり堆肥化して再資源化していく。要するに昔、日常の中でものすごい時間とものすごい手間をかけていたものにテクノロジーを使うことによって、時間を短くしたり手間を省いたりして、どうやって循環させていけるか。自然の利息を食わない、自然の利息の中だけで食っていける、元金を食い尽くさない社会をどうやってつくるかということが、このバイオマスの取り組みです。 |
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4)バイオマス利活用から地域づくりへ
最後に大きい地球の話になります。
今から20年前の1987年、人類は大きなハードルを超えました。1987年はどういう年かというと、地球が1年間につくる生産量(純一次生産)を人類だけで全部消費し、そして人間の排出物を固定するために必要な生物量と、人間が必要とする食料は大体1:1ですが、それが地球の純生産量を超えた年です。今は1.25倍位になっています。つまり地球の上で人類が持続的に生きていくには、現在、地球が1.25個必要なのです。それを子どもたちに引き継いでいって良いのかということを、我々は問われているわけです。
人類だけではなくて多くの生物がいます。先程、この地球に石油は0.8杯しかないという話をしましたが、1つ救われるものがあります。それは太陽の光です。お天道様が地球にもたらす光のエネルギーは、石油に換算して1年間に富士山400杯分です。太陽のエネルギーを、悲しいかな、私たち人間は直接食べることはできません。どんなに太陽電池を作っても、太陽エネルギーをどんなに巧く利用するようにしても、それで栄養になるわけではありません。私たちを生かすことができるのは、ただ1つ、植物なのです。 |
この地球上で私たちが太陽エネルギーを利用できる形態に変えてくれるのは、植物と植物性プランクトンしかないのです。これを生態系の中では生産者と呼んでいます。私たち動物は、その消費者なのです。植物を食べる、あるいは植物を食べた動物を食べることによって、私たちは命を長らえています。それは縄文人も今も全く同じです。要するに他の命を食べることによって、自分の命を長らえます。私たち消費者が死ぬと土に返っていきます。土の中のバクテリアや昆虫がそれを食べます。それを分解者といっています。生産者と消費者と分解者が延々とぐるぐる回っているのが地球の生態系で、その延々と回る糸車を回しているエネルギーは太陽エネルギーにほかありません。
バイオマスということをなぜ言い出したのか。延々にぐるぐる回っていく糸車をどうやって社会の中でつくっていけるかという試みが、バイオマスをどうやって利用していくかという試みだとお考えください。今はその糸車を、太陽エネルギーではなくて石油エネルギーで回していて、石油エネルギーで回した結果、温暖化になっているのです。このまま石油をどんどん使って地球が温暖化していくと、もう持続可能ではなくなる。あるところで糸車が壊れてしまうことになります。
けれども今ならまだ間に合います。いきなり自然には戻せませんが、少しずつ少しずつ石油に依存したエネルギー社会から脱却していく。それによって石油をゼロにするということは、決して考えないでいただきたい。今使っている石油の量を少し少なくして、他のエネルギーも使えるようにして、もう1回、糸車が落ち着いて回れるような状況まで、テクノロジーと人間が知恵を出し合ってつくっていく。それが、私たちが真庭地域でやろうとしているバイオマスの取り組みだと思います。口で言うのは簡単です。実際にそれをやっていくことは大変難しいと思います。 |
| ただ、バイオマスは非常に重要な利点があります。それは何かというと、かさばるということです。同じようなエネルギーを得ようとか、同じような物質を得ようと思ったら、石油だったら一斗缶1缶でできるのに、木質にしても糞尿にしても、その何倍もかかります。かさばるということはデメリットのように聞こえますが、実はメリットなのです。輸送ということを考えないで利用できるところには、大変なメリットになるのです。太陽エネルギーが植物を変えてくれて、それを延々と自由に使えたら、少なくとも衣食住と燃料は足ります。ところがこの自然のシステムを他に運ぼうとすると、ものすごい輸送コストがかかります。そこでまた膨大な石油を使うことになります。だからバイオマスは、地域内で使うときに初めてメリットが出てくるのです。遠くの地域外に持ち出せば持ち出すほど、結局、石油を使ってバイオマスを運んでいるという、非常に矛盾したことになってきます。バイオマスは地域の中で使っていく。あの山の頂からこの山の頂の中の自然に自分たちは生かされていると思うこと。そのように思えるような地域をつくること。それが実はバイオマスタウンの一番の目的です。 |
子どもたちは、父ちゃんにずっと言われているわけです。「うちのじいちゃんの時代には、山をたくさん持っているとお前の代には大金持ちになるぞと思って、みんな山に木を植えた。だけど今は山は金にならなくて二束三文で、間伐するにも手間がかかるし、木が倒れても植えられない」。そう思わせたら、子どもたちは救われないのです。自分たちはじいちゃんの植えたとんでもないものを引き継がなければならないのかと思って育つわけです。そうしたら、大きくなったら真庭にいられない。真庭から出ていって少なくともその罪から逃れていきたいと、子どもたちは思います。
そうではない。じいちゃんが植えた木のおかげで、エネルギーが使える。よそへ行ったら石油が月に何万円もかかるのに、真庭だったら石油が少なくてすむ。裏山の木から切ってきたものを使っていろいろな製品をつくることができる。飼っている牛が出した排泄物が田んぼを肥やす肥料になって、そこでできた野菜が給食にあがる。この循環の中で暮らしていける喜びを、子どもたちに与えてやってほしいのです。
今、私は「森の“聞き書き甲子園”」という、全国の高校生たちを山村のじいちゃんやばあちゃんのところに聞き書きに行かせることをやっています。じいちゃん、ばあちゃんたちもとても喜ぶのですが、高校生たちが本当に変わるのです。グレた子、キレかかっている子、学校でも持てあましている子が、半分ぐらい来ます。半分は優等生です。優等生がちゃんとできるのは当たり前なのですが、キレかかった子どもたちが本当に変わります。どう変わるかというと、安心するようになるのです。 |
今の高校生たちは、良い成績を取れないと、良い大学に行けない。良い大学へ行かないと、良い会社に入って沢山お金が稼げない。そう思っています。そのピラミッドからスピンアウトしてしまった子どもを拾う術(すべ)がないのです。ニートだ何だと言っていますが、ちょっと頭のいい子であっても、まともに「これはおかしい」と思い出したら、この社会ではスピンアウトしてしまって、一度脱落したら、もう敗者復活がないというのが現在の子どもたちです。昔の世代とは明らかに違って、競争社会が進んでしまっています。
その子たちが山で暮らしているじいちゃんたちの話を聞くと、安心するのです。なぜかというと、じいちゃんたちは小学校しか出ていないのです。けれどもじいちゃんたちは自分で家もつくれるし、屋根を自分で葺(ふ)けるし、自分で食べるものは自分でつくれる。つまり明日暮らすことにも明後日暮らすことにも、何の不安も持っていない。ばあちゃんたちは、来年の冬に何を食べるかという献立を考えながら春先の山菜を取ってくる。つまり1年先の段取りが絶えず頭の中にある。それに対して何の不安も持っていない。そして「自分たちは自然に生かされているのだ」とみんな言う。そういう暮らしがものすごく安心な暮らしなのだ。つまり生きていくことに安心な暮らしなのだということを、子どもたちは知るのです。その瞬間、キレなくなります。ものすごく落ち着きます。それからものすごく明るくなります。
卒業して大学生になったOBたちが、この運動を支えています。一番の先生は自然であり、自然の中で生きてきた人たちの知恵なのだということを後輩たちに伝えたいと、一生懸命にやってくれています。
バイオマスタウン構想の根本にあるのは、真庭の自然の中で子どもを生んで次の世代をつくれるという安心感を、子どもたちにどうやって持たせてあげられるかということです。糸車を止めないために、自然の循環の社会を止めないために、自然の元金に手をつけずに自然の利息の中で暮らしていける社会をどうやってつくることができるかということは、政治のリーダーたちだけで決めていくことでは決してないのです。学者だけで決めていくことでもないし、ましてや技術者たちだけで決めていくことでもないのです。これは全員で決めていかなくてはならない。自分たちの次の世界、今の価値観とは違う世界をどうやってつくっていけるか、それをどうやって子どもたちに残していけるか。 |
ただ、何回も繰り返しますが、急に明日から価値観を変えろということではありません。今の生活の中でできることから変えていって、何年か後に今の子どもたちが大人になるときに、「真庭にいてよかった」「真庭の燃料費は安い」「真庭の食料は安くて安全だ」「安心してここに暮らして、安心して結婚して子どもを産める」と思わせてあげたい。そういう社会をつくっていくことです。
そのためには、もう1回、真庭のバイオマスを見直そう。使える所から、取り組める事から取り組んでいく。人は自然の中で1人では生きていけない。協働していかないと暮らしていけない。それは今までの知恵で、皆持っていると思います。それをもう1回繋ぎ合わせて人と人が手を組んで、子どもたちの世代に自然の利息の中で暮らせる社会をどうやって作れるか。これをぜひ考えていきたいと思っています。
この後のパネルディスカッションでは、生活者の視点の中でそれがどう見えていくかということの一端を皆さんと一緒に同じ目線で考えていただき、また会場からも活発なご意見をいただきたいと思います。
バイオマス構想の理念の部分をお話しいたしました。 |